ふじようちえん

2016年7月1日 園長だより

2016年07月01日 / 園長だより

藤幼稚園のご父母のみなさまへ

先日、あきる野市深沢(五日市)にあるアジサイ山に行ってきました。山いっぱいに薄紫色や白色のアジサイが咲き、訪れた見学者の皆様の心を和ませていました。あいにくと言うか、幸いと言うか、天気は雨時々曇り、アジサイの花には、曇り空か雨降りが似合うものでとても綺麗に咲いていました。梅雨空も又、良しですね‼
皆様、いかがお過ごしですか?夏休みのご予定づくり?に楽しい時間を過ごされているかもしれませんね。どうぞ、子どもが育つ家族の夏、楽しんで下さいませ。

《長靴》
今、子どもたちのとてもカラフルで可愛い長靴が各クラスの出入口に揃えて置いてあります。微笑ましい光景とその長靴を揃えている子どもたちにその成長とそれぞれが育ち合っていることを実感しています。長靴の中は足が自由に動く遊びがある分、しっかりと歩く、歩行の訓練にもなっているものと想像します。雨が降り、長靴を履いて育つこともあるのですね。朝は雨がザァーザァー降って、お帰りには晴れた時、少し歩きにくそうな長靴で帰る姿を見てそんな風に考えました。まぁ、晴れると長靴も立場が無くなって、かわいそうですけどね。

《じゃがいも》
梅雨の合間の晴れた日は、日差しが強く、とても眩しいですね。先日、クラスごとにじゃがいも掘りに行きました。持ち帰ったスマイルファーム産のじゃがいも、お味、いかがでしたか?今年はたくさんの収穫がありましたので、ランチメニューや長時間のおやつに塩ゆでにしてみんなで食べてみたいと思います。シンプルだけど昔からの日本の味体験、お楽しみに‼

《七夕》
もうすぐ七夕です。子どもたちは、覚えたての文字で短冊に願い事を一所懸命に書き、笹に結び付けては祈っています。近くから、♪笹の葉、さぁらさら~という歌声が聞こえてきました。振り向くと井戸水を貯めた池に笹の葉で作った舟を浮かばせて楽しんでいます。幼児期にしか体験できなくなった日本の七夕体験です。
それにしても…七夕飾りを笹に飾ることと、もみの木にクリスマス飾りをつけること…文化は違うけど、人の思いは一緒ということなのでしょうかね?そう言えば、今年は新企画“みんなで天の川づくり”も登場、子どもたちの夢を育てましょう‼

《感謝ノート》
 日記が長続きしないという方に朗報です。新聞の欄に、その日1日、良かったことだけを書く「感謝ノート」は長続きするという記事がありました。(6/15読売朝刊)それを実践した方は、就寝前に1日を振り返り、書くようにしたとのことです。先日は、バスに乗った時の出来事を書きました。バスを降りるのにだいぶ時間がかかったご高齢の女性に、運転手さんが、『お気をつけて』と声を掛けました。その一言に周囲の人もホッとして、車内は温かい空気に包まれた、とのことです。些細なことなら、1日に3つ、4つ書くことは見つかるもの。温かい気持ちで1日を終えることが出来るので、これなら続けられそうだということです。家庭の中で騒がしく、言うことを聞かないお子様?かもしれませんが、ダメ出しより、良い出し‼些細な良いことを見付けてみましょう‼ まさしく、神は細部に宿る‼ God in the details!! ですね。

《平凡な日常の中にこそ…》
前述と若干重複しますが、以下は、松原泰道(龍源寺住職)という大変著名な方が寄稿されていた文章の一部です。ご参考になればと思いお伝えさせて頂きます。
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ある時、顔見知りの刑事が友人の和尚に質問をしたそうです。
「和尚さん、今朝警察で朝礼の時に、署長が『君たち、自分の家なり宿舎から ここへ来るまで何か感動したことがあるか? 感銘したことはないか?』と聞くのです。
みんな顔を見合わせて『いや、なかった、ありません』と答えたら、えらいこと叱られました。『こういう子どもたちを扱っている者がもっと神経を過敏にして何かに深い感銘を持たなければ、非行する子供たちをリードすることはできないぞ』と言われたのですが、どんなことでしょうか?」
この質問に対して友人は、「署長さんの申された事を直接聞いていないからわからないけれども、僕だったらあの松尾芭蕉の『よく見ればナズナ花咲く垣根かな』の心境だろうと思う」と答えたといいます。ナズナというのはぺんぺん草です。義理にもきれいだとは言えない花だけれども、あの雑草に類するぺんぺん草が、誰も見ていない垣根の隅っこで咲くべき時がきたので精魂込めて咲いている。芭蕉はそれをじっと見つめて、見据えて、そして、誰が見ていなくても咲くべき時に精一杯咲いていることに感銘した。おそらくそういうようなことを署長は言っているのだろう……。
私はその友人から電話で「上記のことがあったよ」と聞いた時、「それは私も同感だ」と話したのですけれども、この何でもないものを見つめていくところに何かふっと見えてくるものがあるのですね。見ようと思わなくても向こうから見せてくれるものがある。哲学的な言い方になりますけれども、花が咲いているのも、それから葉っぱに雨が当たるのでも、何かを私たちに教えていてくれる。こういう深い受け止め方を、私は「自分の心中の受信装置」と申し上げました。つまり自分の心の中の感受性ですね。その感度が細かくなって来れば来るほど、平凡な出来事の中から、激しく反応するものがあるのだと思います。科学でも芸術でも、この深く見つめる凝視によって生まれる。だから私たちも、何でもない事柄の中から、何かつかみとりたいと思います。何でもない平凡な事から深くつかみとる情熱を得たいですね。
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人生、平凡な日常の中にこそ…大切なことがあるのですね。子どもの育ちに、常に気づき、発見、アイデア、勉強…ですね。頑張りましょう‼

園長だより vol .167 (2016.7.1)