園長だより vol . 282 (2024.10.31)
2024年10月31日 / 園長だより藤幼稚園のご父母のみなさまへ
秋にもかかわらず、暖かい日が続いていましたが、このところ急に秋らしい気候となって来ました。例年、紅葉のたよりも聞こえる頃ですが、今年は紅葉前線もゆっくりしているようで紅葉を楽しむのももう少し先になりそうですね。幼稚園でも、子どもたちが落ち葉を集め、落ち葉プールに運び、そこに飛び込んで遊ぶこともまだまだのようですね。環境変化による地球温暖化をこんなふうに肌身で感じるとは思っていませんでした。
皆様、いかがお過ごしですか?毎日、何を着ればいいのか?迷う今日この頃です。気温の変化にお風邪など召されませんように、ご自愛ください。
先日の運動会には、多くのご家族様でご見学、ご声援いただき、ありがとうございました。お子様の運動会、それぞれに頑張っている姿、いかがだったでしょうか? 私は、「職員運動会」の見学から始まり、練習、そして、運動会当日の競技や演技を通して、それぞれの子どもたちの成長を実感しました。まさしく、子どもが育つ運動会になったものと思っています。子どもたちの記憶に残る1日はもとより、ご家族様にとっても、大切な思い出の1ページになったことと思います。いつの日か、あの金メダルを見ながら、思い出話になってもらえたら嬉しいです。そして、運動会が終わっても屋根の上のリレーは続いています。競い合うおもしろさや勝負のうれしさ、くやしさ、団体競技でのみんなで力を合わせることの大切さ等を感じたようです。その証として、今でも自主的に行うリレーあそび‼︎大人気です‼この光景こそ、成長の一つの姿ですね。
≪さつまいも掘りで育つ‼≫
今、スマイルファームでは、子どもたちが歓声をあげながら、さつまいも掘りをしています。土に触れ、自分で掘って見つけたさつまいも、嬉しそうな笑顔にたくさん出会えます。自分で見つけて、自分で掘った満足感や自信を感じました。さつまいもの数や大きさに注目しがちですが、子どもたちの心には、自己肯定感や自己有能感が確実に育っていることを感じたうれしい秋のさつまいも掘りでした。お子様の自信の塊、おいしく召し上がっていただけましたか?ご家族でおいしく食べて、喜ぶと、子どもはさらに自信を深めて育って行くものと思います。もちろん、屋根の上で食べたおいも会では、さつまいもを頬張る笑顔がいっぱい‼ごちそうさまでした。
≪干す文化で育つ‼≫
毎年、この時期、いつもお世話になっているお隣の柿の木に実った柿をたくさんいただき、皮をむいて、熱湯で煮沸して、外で吊るして、干し柿づくりをしています。キッズテラス3階の軒に干して、その風景を子どもたちに見てもらおうとしています。
また、春に植えた稲苗が幼稚園のミニ田んぼで実り、先日、稲刈りをしました。稲刈りの時には、先生が鎌で稲を刈るところを見学し、その後、一人一人が稲を持ったり、においをかいだり、お米を見たりしていつも食べているお米が生まれてくることを感じました。また、その稲をテラス1階や正門近くの軒に吊るして、干しています。さらに、先日行ったさつまいも掘りでは、掘ったさつまいもを洗って、干して、おいしくして、おいも会で食べました。
ふじようちえんでは、柿や稲、さつまいもをはじめ、玉ねぎ、大根、とうもろこし等々を干しています。このように干すことは、テレビの旅番組で見ることはあっても実際は中々触れることはそうそうありません。実は、昔から、日本の食文化には、この“干す”という加工方法によって食材を保存してきた食文化があります。干すことで旨味が凝縮され、栄養価も高まるということです。例えば、梅干し、干しいも(乾燥いも)、干しシイタケ、魚のひもの、いろいろな乾物・・・等々があります。日常的には中々できませんが、私たちの祖先から受け継いだDNAの中にある、自然と共に生きる、自然を活用して生活するという観点を思い起こさせられるような気がします。今一度、見つめなおしてもいいのではないかと思っています。食は、体にいいものは勿論ですが、作物等、自然からの贈りものをもっと取り入れた生活がいいと感じています。お肉やお魚もいいのですが、人参や里芋等々の煮物料理が好きになってきた私の独り言でした。
≪マザー・テレサの教え≫ 月刊・致知からの転載です。
松下政経塾の塾頭、常務理事を経て、現在は志ネットワーク代表として活躍されている人材教育のスペシャリスト・上甲晃さん。その上甲さんが大きな影響を受けたというマザー・テレサ(1910-1997)の教えを紹介いたします。生きるヒントが満載の感動エピソードです。
〈上甲〉
マザー・テレサの言葉に常々深い感銘を受けていた私は、この人に会いたいという思いを募らせ、ついに後先考えずにインドのカルカッタ(現・コルカタ)へ渡りました。
彼女に直接、どうしても聞いてみたいことがあったからです。
当時のカルカッタは人口1000万人のうち200万人が路上生活者で、至るところに生死も分からない行き倒れの人が転がっていました。全身から膿を出している人、ウジ虫の湧いている人、とても側に寄れたものではありません。
しかしマザー・テレサと仲間のシスターたちは、一番死に近い人から順番に抱きかかえて、死を待つ人の家に連れていき、体を綺麗に洗ってあげ、温かいスープを与えて見送るのです。せめて最期の瞬間くらいは人間らしくと願ってのことでした。運よく、カルカッタの礼拝堂でマザーに面会することのできた私は、
「どうしてあなた方は、あの汚い、怖い乞食を抱きかかえられるのですか?」と尋ねました。
マザーは即座に、「あの人たちは乞食ではありません」とおっしゃるので、私は驚いて「えっ、あの人たちが乞食でなくていったい何ですか?」と聞くと、「イエス・キリストです」とお答えになったのです。私の人生を変えるひと言でした。マザーはさらにこうおっしゃいました。
「イエス・キリストは、この仕事をしているあなたが本物かどうか、そしてこの仕事をしているあなたが本気かどうかを確かめるために、あなたの一番受け入れがたい姿であなたの前に現れるのです」
目から鱗が落ちる思いでした。マザーの言葉を伺った瞬間、私が松下政経塾で、あんな人は辞めてほしいと思っていた塾生が、実はイエス・キリストであったことに思い至ったのです。自分はこれまで、他人を変えようとするあまりどれほど人を責めてきたことだろうか。
しかし、いくらそれを続けたところで人を変えることはできない。人生でただ一つ、自分の責任において変えられるのは自分しかない。常に問われているのは、自分から変わる勇気を持てるかどうかだ。このことに気づいた途端、心が晴れ晴れとしてきたのです。以上。
『あの人は、イエス・キリストです』『自分が本物かどうか?試されている』
反省することも多いし、今後の戒めとさせていただきますが、この境地まで…マザー・テレサさん、さすがにすごい言葉と行動、神様ですね。
園長だより vol . 282 (2024.10.31)