ふじようちえん

2014年6月2日 園長だより

2014年06月02日 / 園長だより

藤幼稚園のご父母のみなさまへ
 
 木々の緑も深くなってきました。ひょうたん、へちまのつるが勢いよく伸びています。日々、伸びるつると子どもたちの成長が重なり、どちらも本当に楽しみです。そして、やがて来る入梅の知らせを承知しつつも、家族参観日や園外保育、じゃがいも掘りにプール遊び・・・この日だけは何とか雨が降らずに・・・出来れば晴れてほしいと勝手に都合いいことばかりを祈っています。これからは天気予報を気にする日々が続きます。
 皆様、いかがお過ごしですか?今年の夏風邪は、のども痛くないのに声が出なくなることがあるそうです。お体、ご自愛下さい。

≪虫も鳥も育つ幼稚園≫
 夏を思わせる強い日差しが照りつけている朝、ガラス戸が大きく開いた職員室の園長席に座り、誰もいない園庭を眺めていました。子どもたちの姿が見えない園庭、声も聞こえず響きもしない園舎は、まるで長旅で疲れた羽を休めている渡り鳥がわずかな休憩をとっているようです。普段、一日で一番静かになる時間が給食の時なのですが、こんなに静かではありません。日常、感じたことのない静けさの中で、当たり前のことですが、やっぱり“子どもが育つところ”である幼稚園は、お友だちが笑ったり、泣いたり、怒ったり、喜んだり・・・元気な声が行きかってこそ幼稚園なんだと再認識しました。誰もいないと思っていましたが、よく見ると園庭にはスズメやムクドリが芝生の間にいる虫やミミズを見つけて集まっています。そんな光景をぼんやり眺めていると、チョウチョが職員室に入ってきました。どうやら・・・子どもたちが居なければ居ないで、“虫や鳥たちが育つところ”の幼稚園になっているようです。

≪本物で育つ≫
 今、幼稚園ではスマイルファームで採れた“イチゴ”をランチの時に食べています。このイチゴ、もともとは数年前に“秋姫”という種類のイチゴ苗をどこかの道の駅で10株ぐらい購入し、いつかはイチゴ大福を作って食べてみたいと思いながらスマイルファームに植えてみたものです。もともと農業の知識も技術も無いものですから、手入れも堆肥もせず、ましてや消毒なんて考えたことも無く時間だけが過ぎました。イチゴの株がどんどん分かれて増え続けていたのです。結果、期せずして無農薬のイチゴがたくさん実り、子どもたちにも安心して食べてもらえるようになったのです。このイチゴ、粒は小さいが香りがとてもよく、甘く、なにより新鮮と言うことにおいてはピカイチです。現在、全園児に3回ずつ食べてもらってもまだまだ出来ている状態です。表先生のようちえんブログにもありましたが、畑から採れた新鮮なイチゴをランチの時、食べたいと言うお友だちに分けてあげると、“ヘタが固くて取れない”とか“変な形のイチゴだぁ!!”とか言う子どもたちがいたと言うことです。確かにビニールハウス育ちではない畑での露地栽培のイチゴは、ヘタもしっかりしているし、形も様々です。スーパーで売っている形が良くそろったイチゴしか見たことないのですから、仕方が無いことだと思います。
 だからこそ、私は出来る限り子どもたちには本物に触れてほしいと思っています。特に、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚の五感が育つ幼児期、園庭に咲くきれいな花をじっくり近くで見たり、風でこすれる葉っぱ音を聞いたり、草の青臭さを嗅いだり、泥団子づくりで土に触れ、大きなけやきの木に登ること・・・そして、スマイルファームのイチゴを食べてみること等々・・・みんな大事な子どもが育つ時間に体験しておいてほしいのです。本物体験は、すぐに何々に役立つと言うものではありませんが、大人になって、この体験をしているか?いないか?で、物事を感じる力や感じ方に違いが出るのではないかと想像します。大人になり遠い記憶の彼方になろうとも、記憶のどこかにある実体験から得た感性は、必ずや物事の正しい判断や表現、それに基づく豊かな人生時間を送ることに繋がって行くものと信じています。
 特に、これからさらに進化するネット社会では、画面上での判断や表現が今よりも求められてくることと予想します。便利で快適に過ごす道具としてのネット社会の基礎の基礎は感性だと思います。その源の五感体験はとても大事ですね。

≪雨で育つ≫
 6月、正門の園長あいさつを“雨つぶ、長靴、水たまり、アジサイ、雨傘、雨ガエル 梅雨に育つ、子どもたち”にしました。とかく雨降りが続くと心も室内も湿りがちになるものですね。雨だからこそ育つもの、雨を味方に付けて子どもたちの育ちに活かそうと積極的に考え、梅雨さえも子どもが育つ道具の一つと捉えてみました。
 まずは、雨傘です。雨が降ると傘をさしますが、自分の体だけでもまだまだ思いのままに動かすことが出来ないお友だちにとって、長くて開いたりたたんだりする傘を自由自在に扱えるようになることは大変なことなのです。でも、雨だから傘をささないと自分が濡れてしまいます。自分を守るのは自分ということを覚えるチャンスです。わが身が濡れないようにしているうちに傘の扱い方も上手になって行くものです。
 でも、現代社会は、歩かず、傘もささずの生活形態が増えているようです。
例えば、雨の中、あるマンションの地下駐車場からお母さんが運転する車に乗ってお友だちのマンションの地下駐車場に入り、エレベーターでお友だちの家に遊びに行ったとします。確かにその子は、一適の雨粒にも濡れないでお友だちのお家に行けるのですが、雨にぬれることを経験せずに育つことになってしまいます。乱暴な言い方ですが、幼児期は多少の雨には濡れておいてほしいと思っています。何故かと言えば、極端な例ですが、大人になり小説を読んだとき、土砂降りの中を・・・などと言う文や表現に出会った時、土砂降りとはどんな雨の状態なのか?分からないのではないか?と余計な心配をしています。しとしと、ぽつぽつ、ぱらぱら、ざあざあ降り、小雨、土砂降り、小ぬか雨・・・日本には雨の降り方の表現がたくさんあります。体験しておいてほしいですね。ちなみに、アンジェラ先生によると英語の雨の表現は少なく、大きく分けて“レイン”と“猫と犬が降っているような雨”ということだそうです。文化の違いですね。
 また、傘をさすことで周りの人やモノに傘の端が触れたり、ぶつかったりします。
何回も何回も傘の端が他人に触れたり、ぶつかったりしながら段々と周りにぶつからないように気をつけ始めるものです。雨傘は、子どもたちにとって、周りの人やモノとの“間合い”をつかむ為の道具とも言えると思います。触れたり、ぶつかったりしながら、それぞれに意識してお互いに気持ちいい距離感をつかんで行くことが、大人になるということなのかも知れませんね。
 またまた、最近少なくなりましたが、水たまりも育ちの道具です。今も昔も何故か?子どもたちは水たまりを見つけると入らなくては気が済まないようです。長靴をはいて水たまりに恐る恐る入って行き、どこまで深いのか?長靴を見ながらどこまでなら自分は入って行けるのか?他のお友だちより誰が一番深くまで入れるか?なんて自分の凄さの競争もしたりして・・・遊んでいます。時々失敗して長靴に水が入ってしまいお母さんに叱られている光景も記憶にあります。遊びの中に“先を読む力”や“慎重さ”を育てる要素があり、さらに水を相手に度胸試しまで出来るのです。たかが水たまりですが、育ちが潜んでいるのです。
 6月の童謡として、“あめふり”を取り上げました。みんなで歌って音を楽しみ、踊って季節を体で感じたいと思います。
♪あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかい うれしいな ピッチピッチ チャップ チャップ ランランラン・・・懐かしいですかね。でも、“じゃのめ”って分かりますか?おそらく今の80、90代の方々でも使った記憶のある方は少ないのではないでしょうか?そのくらい昔の傘なのです。ちなみに、じゃのめとは、蛇の目傘のことで、和紙で作った雨傘のことを言っています。江戸時代から広く使われていたとのことです。私はいつも歌に出てくるモノやコトに触れてみよう、子どもたちに伝えたいと思っています。そこで、今、園長席の前には蛇の目傘が置いてあります。この蛇の目傘をさしてお母さんが迎えに来てくれた光景を思い浮かべると・・・今のお母さんたちがワンタッチ傘でお迎えに来ている風景となんら変わることはないのです。昔も今も子を思う親心に、不変の愛を感じました。この歌が急にいとおしく聞こえ始めました。
年で幻聴かも知れませんが・・・。ちなみに、メダカの学校も開校中です。

園長だより vol . 138 (2014.6.2)