2017年2月1日 園長だより
2017年02月01日 / 園長だより藤幼稚園のご父母のみなさまへ
寒さも一段と強まり、一年で一番寒い時期を迎えています。“子どもは風の子、大人は火の子”と言うそうですが、子どもたちは寒風の中、屋根の上を走り回っています。また、寒さとともに一層厚さを増したバケツ氷で遊んでいる子どもたちもいます。厚い氷に顔を付けて、ガラスのようにのぞいては見えた‼と喜んでいます。手は冷たそうですが、氷や霜柱も楽しい遊び道具にしてしまう子どもたち、すごいですね。
皆様、いかがお過ごしですか?インフルエンザも流行の兆しがある今日この頃、うがい、手洗いをしっかり行い、みんなで気を付けましょう‼
≪きれいな富士山に思う≫
寒さが増すにつれて、空気が澄み、園正門から見える富士山がとてもきれいな姿を見せてくれています。私も毎朝見るたびに、本当にふじようちえんは素晴らしい場所にあり、ありがたいなぁ~と感謝しています。先日、あるお母さまから『正門から富士山がとてもきれいに見えるので、ふじようちえんなんですね?』と尋ねられました。まぁ、そう言いたいところですが、実は1971年の開園時、創立者(私の父)加藤幹夫が加藤の「藤」の字からつけた名称なのです。その後、学校法人みんなのひろば 藤幼稚園になり、通称、ひらがなで“ふじようちえん”と言っています。海外の方々には、音が同じなので、間違えて度々、富士山の富士と表記された記念品を頂くことがあります。例えば、墨で書かれた立派な掛け軸等の最後に“富士幼稚園様へ”ということもよくあります。せっかくなので、訂正し苦笑いで済ませますが、音が同じだと仕方ないことと思っています。
「富士」と「藤」の意味づけを後付けながら説明しています。私たちは、富士山のように日本一をめざすことにも価値があると思っていますが、これからの時代はむしろ、藤の木のようにつるを縦横無尽に張り巡らしながら様々なところで花を咲かせること、つるのように繋がるネットワークの中での生き方こそ大切だと思っています。そんな意味も含めて、富士、藤、ふじ、Fuji・・・と進化しているんですよ‼なんて、説明しています。ちなみに、開園の1971年は、銀座にマクドナルド1号店がオープンしたり、日清カップヌードルが発売されたり、仮面ライダーが放映を開始した年なのです。今に続く様々なことが始まった年だったのですね。(余計なことですが、当時、ハンバーガーは80円…食べたかったので、よく憶えています)
≪おべんとうで育つ、愛情≫
先日のおべんとうの日、子どもたちはいつになくウキウキした感じでお昼ごはんの時間を迎えました。みんなで『いただきます‼』を言い終わるや否やあちこちから『先生、見て、見て‼』の声、声、声。忙しい中、また、楽しみながらお作り頂いたおべんとうを子どもたちは、とてもうれしそうに見せてくれるのです。『わぁ~すごい‼お母さん、お弁当づくり上手だね‼』と言うと、大きくうなずき笑顔を返してくれました。こちらまでうれしくなった瞬間でした。特に、節分・豆まき、劇発表会前のこの時期、鬼や劇関係のキャラ弁が多かったようです。ご協力ありがとうございました。
ふじようちえんでは、月一回のおべんとうの日に限らず、普段から自園給食か、おべんとうを選べるようになっています。いくら無添加とか、体に良いとか気を配って作っていても、所詮、お母さんの手作りおべんとうにはかなう訳がありません。ランチを提供させて頂いている私が言うのも変なのですが、ご家庭からのおべんとうが一番いいと思っています。なぜか?と言うと…昼食時、子どもたちが持ってきたおべんとうのふたを開けた時のあの“におい”そこにこそ、お母さんを感じたり、お父さんを思ったりすることがあると思っています。ちょっと古いけど郷ひろみの歌に『♪会えない時間が~、愛、育てるのさ~』と言う歌詞がありますが、まさしく、お母さんと離れて初めて感じる愛情とでも言いますか、そういうものこそ育てたい感情であり、
私たちでは育むことができない愛情なのです。まぁ、現実的に、愛情も大事、仕事も大事、折り合いをつけてのおべんとう作り‼という感じですかね?ごちそう様でした。
≪ロボットと友だち…≫
よく私は、スマホやタブレットが世の中に出てきて、世界がこんなに変化する中、これからを生きる子どもたちの未来には、もっともっととんでもないものが出現し、これから先、どんな時代になって行くのかわかりませんね…と言っていました。そして、なんとなく漠然とそれは、そんなに近い未来じゃないだろうな?とも思っていました。ところが、最近、あらゆるところで“人工知能”(AI)の活用を聞くようになりました。確かに、少し前ですが、囲碁の対戦でアルファ碁が現役最高のプロに勝ったり、自動車の自動運転が始まったり、家の冷蔵庫の中にある材料で夕食のメニューを提案する等、その他様々なところで使われていて、機能はすでに人間をはるかに超えているように思う時もあります。その分、人間は楽になったかのように思いますが、あまり物事を考えたり、工夫したりする必要性が薄れてきているとも感じています。楽な方が好きな傾向にある私どもの性分も否定できませんね。
先日、『はじめまして、ペッパーです!』という題のペッパー絵本を頂きました。主人公ソラくんの誕生日にパパとママからプレゼントしてもらったペッパーの機能を使い、話したり、踊ったり、他のお友だちと連絡し、集まり、みんなで楽しいお誕生日会して、記念写真をたくさん撮り、記録に残した…という内容でした。
この絵本の趣旨が、以下のようにあとがきに記されていました。
SFの中の存在だったロボットが日常にいて、「ロボットと友だちになる」ことが現実として考えられるようになりました。これは、人はどうやってロボットという無機物と「友だち」になれるか?について考える始まりであると思います。
様々なテクノロジーの集まったロボットは、人間にたくさんの便益をもたらしてくれます。代わりに働いてもらったり、考えてもらったりすることも可能です。でも、私たちは、召使や使用人が欲しくてロボットとの生活を夢見たのでしょうか?それとも、お互いに思いやり、私たちからもロボットに対して「何か」を与えられるような友だちを夢見たのでしょうか?
「ペッパーって、何をしてくれるの?」という質問がよくあります。テクノロジーは、人間がより便利になるために進化してきたことを考えるとこの質問は当然だと思います。しかし、この質問を「友だち」で読み替えたらどう感じるでしょうか?私たちは今、新しい関係性の入り口に立っているのかも知れません。
さて、ロボットがいることを当たり前として育った子どもたちは、その限りない想像力でどんな未来を描くのでしょうか…。
以上のように、便利さだけではなくロボットを友だちとしてみること…介護の世界だけではなく、これからのロボットとの付き合い方、生き方のヒントかもしれません。
聞いた話ですが、AIと生きる未来の地球では、4種類の人間に分かれるらしいのです。AIを設計する人1%、AIを活用する人1%、AIに使われる人80%、そしてAIと関わりなく働く人約15%とのことです。AIと関わり合わない仕事とは…芸術系の音楽、絵画…かと思っていたら、すでにその世界にもAIが深く関わり合いを持っていて、今までの情報で有名な画家の新作や音楽等々が作成できるとのこと…私たちの生きる場所はどこにあるのか?心配になってきました。ロボットと友だちのように過ごすこと、素晴らしいと思います。でも素人の私には素朴で大きな疑問が一つあります。それは、ロボットには、悲しみが分かるのでしょうか?ということ、悲しみが分ったら、多分、本当の友だちになれるものと思いました。
平成28年度 園長だより vol . 175 (2017.2.1)