ふじようちえん

2014年5月1日 園長だより

2014年05月01日 / 園長だより

藤幼稚園のご父母のみなさまへ

 風薫る5月、澄みきった青空に大きなこいのぼりが悠然と泳いでいます。園庭の藤の花も満開を迎え、鮮やかな藤色を発しています。近づくとほのかな香りを感じます。
 本日、こどもの日お祝い会として、鎧・兜と一緒に記念写真を撮り、柏餅を食べて、みんなでこいのぼりの歌を歌いました。こいのぼりのように、みんなが元気に育ちますように・・・。
 皆様、いかがお過ごしですか? お子様と過ごす連休、どうぞ楽しんで下さいね。
また、先日はお忙しい中、父母会や引き渡し訓練にご協力頂きまして本当にありがとうございます。今後とも、ご家庭と園が力を合わせて子どもたちの育ちを支えて行きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
 入園式、初登園、初バス乗車、そしてご家族との離れて過ごす時間、新しいお友だちとの出会い・・・今、まさに子どもたちにとって、新しい生活リズムが出来始め自立への道を歩み出した時です。親としたら、手を出し、口を出したいところですが、ここはグッとガマン!!で子どもは育つものと信じて見守って頂ければと思います。親になる新たな修行の始まりですね。

≪停止礼≫
 先日、正門に立ち、目にもまぶしい新緑に見とれていました。背後から『おはようございます!!』というとても元気なご挨拶を受けました。振り返ると新入園児のお友だちがきちんと立ち止まって礼をしてくれています。日常、様々な状況でどうしても歩きながらのご挨拶(ながら挨拶)になりがちですが、そのお友だちは立ち止まり私に正対して礼をしてくれました。まさしく社会人教育などで行う停止礼です。大人でも中々出来ないのに・・・ご家庭でのご指導のすばらしさに感心しました。一見、普通の挨拶と思われがちですが、停止礼を受けると何か自分が尊重され、その人の気持ちがしっかり伝わって来るような気がします。また、逆にこちらも相手に対し尊重し敬意を示す態度が出てきて、お互いに良い人間関係の基礎が出来るものと思います。いくつになっても相手に敬意を示されると、良い気分になるものです。これこそが挨拶の本質、挨拶は人と人を結ぶ黄金の鎖と言われる所以ですね。
 何をおいても、入園から早や一ヶ月、お友だちみんな幼稚園に慣れてきた感じです。最初にお話しした、『ごあいさつ』『お返事』『ありがとう』を守っていてくれて本当にうれしいです。この“素直さ”こそ、伸びるお友だちの基本的な要素です。皆さん、この調子です。ご家庭でもよろしくお願いします。

≪幸せな未来をつくるお母さん≫
 昨年の11月、長野市私立幼稚園協会主催の北信地区教員研修大会で講演させて頂きました。その時、一冊の本をある園長先生から頂きました。帰りの電車で何げなく本を開いてみると『最後の零戦乗り』という本です。そして、著者は、今年で98歳になる元ゼロ戦パイロット原田 要と記されています。そうです、その幼稚園の設置者であり元園長先生は、元ゼロ戦パイロットだったのです。本を頂いた息子さんである現園長先生に確認してみると、98歳になる今でも毎日幼稚園に顔を出し子どもたちと遊んでいるとのこと。私も『永遠の0(ゼロ)』を読み、映画を見ていたこともあり、まさか、歴史の中の真珠湾攻撃やミッドウェー海戦にゼロ戦パイロットとして参加している方がいらっしゃるとは・・・驚きました。びっくりです。そして、その方が幼稚園をやっていると言うことが本当に不思議に思うのと同時に何かのご縁を感じ、一度お話を聞いてみたいと思っていました。先日、長野でお話を聞くことが出来ました。

 まだまだお元気なご様子でマイク無しで2時間以上話していただきました。まさに生き証人です。お会いできるだけでも光栄でした。原田さんのパイロット人生は不幸にも闘いの中にありました。でも、パイロットになったきっかけは大正時代に自宅がある長野県で、初めて飛行機を見た時だそうです。幼い時に空高く飛ぶ飛行機を見て、「空から見る景色はどんなものだろう」これが三つ子の魂百までになったと言っておられました。しかし、時代は戦争へと突入していきます。大東亜戦争では戦艦の闘いから飛行機への闘いへ切り替わっていきます。航空母艦「蒼竜」「飛竜」「飛鷹」に乗組み、原田さんは真珠湾攻撃から中国、南方の戦線へ、そして、ミッドウェー海戦では最後の航空母艦が沈められ、海上に着水し数時間サメの多い海の上で救助を待ち駆逐艦に救助され帰国。そして、ガダルカナル戦で被爆し墜落。自力でジャングルを抜けて基地に帰ります。その後パイロット教官として終戦を迎えます。「永遠のゼロ」の百田さんも何度か原田さんのところへ話を聞きに来ているそうです。確かに、物語とよく似た場面が随所にあり、間違いなく原田さんの体験そのものでした。自分が撃ち落としたパイロットの表情がはっきり見えていたそうです。原田さんは優秀なパイロットで何機も撃墜、戦艦も沈めてはいますが、そこに笑顔や誇らしさはありませんでした。「敵も味方も決して喜んで戦っているわけではありません」とお話をされていました。すぐ隣で友人の飛行機が火だるまになったり、すぐ後ろで爆弾が落ちたりしたことがあるそうです。生と死の狭間で戦い抜いた方です。
 原田さんのお話はすべてがご自分で見て体験してきた本物です。そして凄まじい体験の中に、いつも愛がありました。あれだけの地獄を見てきたのにかかわらず、随所に深い愛情を感じるのです。
原田さんは戦後いろいろな仕事を経て、託児所や幼稚園を開き、教育功労知事表彰も受けています。そして、誰よりも今の平和の尊さを感じている方だと感じました。
 様々な悲惨な状況の中、戦死して行く人が最後に叫ぶ言葉は『おっかぁー』とか『かあちゃん』です。残念ながらお父さんではありません。日本の明日を創るのは「お母さん」です。そんなことを思われて託児所や幼稚園を開設されたようです。お母さんの役目は家庭にとっても、社会にとっても、未来の日本にとって本当に重要です。
 会場からも原田さんに質問が出ました。様々な状況の中、原田さんは生きて残ってこられた。生死を分けるのは何でしょうか?原田さんは難しい質問ですね、とお話ししながら答えてくださいました。
「最後まで諦めないことです。生きようとも死のうとも思っていません。求められる命は差し上げます。しかし、与えられた命は全うします」
ちなみに、『永遠のゼロ』に出てくる宮部さんは、原田さんの2歳年上に実際にいたそうです。とても貴重な時間を体験出来ました。不思議なご縁を感じ、私なりに伝える役目があると思いお話しさせて頂きました。

≪こいのぼり≫
 各お部屋から♪屋根より高いこいのぼり 大きな真鯉は おとうさん 小さな緋鯉は こどもたち おもしろそうに およいでる・・・と元気な歌声が聞こえています。
 でも、以前から、何でここにはお母さんが出てこないのだろう?と不思議に思っていました。お父さん鯉の下にいる赤い鯉はお母さんではなく子どもたちということになります。ついつい赤いから女性のイメージを持ち、お母さんだと思っていました。
 様々な説があるそうですが・・・『伝え残したい童謡の謎』合田道人著によりますと旧暦の5月は今の6月初旬、梅雨入りであり、田植えの季節です。雨の量により稲の収穫が左右されました。その頃、女性たちは仮の小屋や神社にこもり、田んぼの神、水の神を迎い入れ、豊作を祈る風習がありました。女性たちが集まるその場所の入口には、魔除けの力があるとされる菖蒲や蓬が飾られ、神を降臨させる目印としてのぼりが揚げられました。神を向かい入れるのは女性でなくてはならなかったそうです。だから今でも神社のみこさんは女性なのです。女性たちは、そこに集まって一心に豊作を祈り、雨、水の神に祈りを捧げたとのことです。田植え前の祭事ですね。
 当時、田植えは女性の仕事とされ父親や子どもたちはその田植えを応援する立場だったそうです。生きるためのお米をつくる母親を感謝の眼差しで見つめているのです。農業が盛んな地方では幾重にもこいのぼりを上げます。今でこそ長男誕生の翌年の決まりごとのようになっていますが、これは、元々豊作を願い、母親の働き、女性の力を讃え、感謝するためのものだったのです。
 お母さんの田植え仕事への応援旗がこいのぼりと言うことになります。だから、お母さんがこいのぼりの歌の中に存在していないのです。
 これから、こいのぼりを見る目が違ってきたり、急にたくさんの鯉が飾られたりしそうですね。それにしても、家の大黒柱がお母さんだった。何か?現代にも通じるものを感じました。時代は違えど、母は強しと言うことですかね。

園長だより vol.137(2014.5.1)