2008.2.29 園長だより
2008年02月29日 / 園長だより藤幼稚園のご父母のみなさまへ
日差しも眩しくなり、肌に感じる空気も柔らかなものに変わってきました。 皆様、お元気でお過ごしですか?
幼稚園のツリーハウスのそばには小さいですが桜の木があります。数年前NHKのニュースで見て知り、送って頂いた超早咲きの種子島のロケット桜です。種子島は、ロケットの発射場所、そこの早咲き桜を俗称、“ロケット桜”と言うようです。今、その桜も三分咲き、もうすぐ満開の桜が臨めます。それにしても、あの春一番、春一番にしては、強力すぎるほどの風、そして舞う砂塵・・・これが春の実体です。砂ぼこりには悩まされます。
豆まき、劇発表会そして交通安全指導等々と多くのご家族様にご参加、ご協力頂きありがとうございました。お陰様で、各行事とも無事終わることができました。心より感謝申し上げます。
劇発表会では、どのクラスも子どもたちの劇や歌に感動しましたね。いくら親が心配しても演じるのは子ども、観客席からは何もしてあげられない親の気持ちを改めて感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか?心配する親の気持ちをよそに、みんなしっかり演じてくれました。結局の所、しっかり育って行く我が子を見てあげることしか出来ないのが現実なんですね・・・。
ついついそばにいると口出し手出し、お金だし・・・。親になるのも修行です。(そう言う私も、ついつい・・・修行中です。)
≪そろえて育つ≫
上履きを使用しなくなって、より子どもの育ちに役立っていると思っています。以前のふじようちえんでは、上履きを使用し過ごしていました。確かに足やつま先を守ることや冬の寒さ等から足を防御するには必要な時もあるのかもしれません。が、当時、各部屋にトイレがあって上履きでトイレに行ってました。トイレにはスリッパがあったのですが履き替えず、おしっこが我慢できなくて上履きのままトイレ内に入り用をすませ、そのまま教室へ戻り、クラスのお友だちと床の上でじゃれ合って遊んでいました。こんな光景を目にする度に、衛生的にどうだろうか?という疑問がありました。
新園舎では、上履きをなくして主に裸足で過ごし、外は靴、トイレはスリッパにし、明確な区分が出来たので衛生面での改善が図れているものと思っています。
また、当時から“靴をそろえる”という指導をしていましたが、いま一つ徹底できないのが現実でした。今、トイレに行く時は、お部屋の前で靴を履き、トイレまで行き、トイレの前で靴を脱ぎマットに上がります。その時に、自分の靴を揃えるように指導しています。“しつけ”と言えばそうですが、私どもの年代(気持ちは30代前半?)でしつけと言うとなんか取って付けたような気がして私は、“くせ付け”と言っています。また、すごく個人的な見解ですが“しつけ”と言うと、大人が見ているその時だけ、表面的にちゃんとするような良い子のイメージが浮かんでしまうのです。さらに誰も見てないとしない子、良い子を演じられる子を想像してしまいがちなんです。本当になってほしい子ども像は、大人が見ようが見まいが、他人がいようがいまいが、一生にわたって行える【良い行動のくせ付け】をしてもらいたいのです。「良い行動」を体で憶え、くせになり、行動のくせ付けが、心のくせ付けになってもらいたいと願っています。美しい立ち振る舞いのできる人。
さて、では次に“靴をそろえる”と言う行為の中味をご案内します。
“出船の法則”とか言って、脱いだ靴を履きやすいように向きを変えておくことは、よくご承知のことと思います。私は、この靴をそろえることをただのしつけとしてのみと理解していません。実は、この行為の中にこそ将来社会人としての大切なこと、人生の中で役に立つことが詰まっているのです。
靴をそろえることは、次に履く時、履き易くすることですが、別の見方をすれば、次の行動に移り易いように準備すること、そして、次の行動に移り易いことは一番生産性が高く、無理、無駄が無いことを意味しています。生産性が高いのは効率が良いことでもあります。先を見据えた“今”の行動が出来る人・・・仕事が出来る人、配慮・気配りが出来る人、まわりの多くの人を幸せにする人・・・になってほしいと思っています。
また、トイレのスリッパは次に使う人が履き易いようにとトイレに来た人を迎えるように位置しています。次にスリッパを履く人が履き易いように心を配り向きを整えること、すなわち“他人への思いやり”が育つようにと願って指導しています。そして、肝心のスリッパを置く位置には、スリッパと同じ色と大きさの足型が貼ってあります。みんな、ここにピッタリとスリッパを置くのです。皆さん、なぜでしょうか?
皆さんも幼い頃、庭や公園、幼稚園、保育園で石ころや枝や葉っぱなどをそれぞれいくつも集め、大きいものから小さいものへ順番に並べたり、同じ大きさのものを集めたり、同じ色のものを一緒にしたり、またまた、ペアになるものどうし集めたり・・・なんてしませんでしたか?実は、このような遊びを通じてあるものが育っていたのです。あるものとは、ズバリ、『秩序感』です。足型にピッタリとスリッパを置くと子どもの顔は何か“ほっと”したかのような表情になります。レゴブロックなどでピッタリはまった感じと似ています。子どもが足型にスリッパをピッタリ置いてほっとするのと同時に、何がしかの達成感が生まれます。その達成感がやがて満足感になり、満足感が自信につながり、やがていくつもの自信が自立へと向かう原動力になっていくものと思っています。
ふじようちえんの目指す子ども像は、『思いやりがあって、自立した子ども』です。場所はトイレですが、スリッパを自らそろえると言う行為を通じて、私たちが目指す子どもたちになってもらいたいのです。そして、お家でも、よその場所、どんなところでも自ら靴をそろえる子どもになって人生を歩いて行ってもらいたのです。
今、先生がいなくても多くのお友だちが、自ら靴をそろえている光景をよく目にします。子どもたちの成長が心よりうれしいですね。
“でも、そんなのかんけいねぇ~”とばかりに靴が片方づつとんでもない向きをしている子どもたちも事実います。でも、いいです。まだこの子たちは、秩序感が育つ時期に達する前なのです。ゆっくり見ていくことにします。ともあれ、現在まで上履きを使用しなくなって、より明確に子どもの育ちに貢献できているようです。
以下、HPで見た文章です。ご参考までに。
ある教育家は、人の品性の基礎は3歳までの間に定まってしまうと申されました。学校では学問や技術は教えることは出来ますが、既に定まった児童の性質の傾向は、容易に改変することは出来ません。人間の品性の教育、道徳の教育、人格の教育は、なるべく早く固まらない幼少のときに楽しく遊んでいる間に自然と善い感化が入るように始めなければなりません。これが幼児教育に必要なところだと存じます。
今後とも、何気ない日常の中にある教育を見つめ、子どもたちの育ちに役立つよう努めていきたいと思います。 園長だより 2008.2.29 vol. 57