ふじようちえん

2013年5月31日 園長だより

2013年05月31日 / 園長だより

藤幼稚園のご父母のみなさまへ

 入梅の湿った空気の中、街を歩いているといよいよ出番とばかりに、もうすぐ咲きそうなアジサイに出会いました。周りを見るとアサガオもすでに咲いていました。
気づかないうちに季節は夏に向かって着実に進んでいるのですね。 
 皆様、お変わりありませんか?季節の変わり目、お体、ご自愛くださいませ。

≪梅雨で育つ≫
 梅雨入りになり、傘の出番がふえてきました。我が家でこんなことがありました。5人家族、本当は、ひとりに1本の傘があれば足りるはずですが、置き傘、買い傘、忘れ傘…等々で、家にあったはずの数本の傘がいつの間にか?無くなり、いざ使うとなると“傘がない”ということがありました。家族の心がけの問題だと思いますが、確かに最近は、雨にぬれずに車に地下鉄、バス、電車等々で移動が出来ますし、コンビニで買えばいいや的な感じで傘自体を大切にすることが薄れてきているような感じがします。これは、おそらくモノを大切にする心が便利さに凌駕されている状態だと思います。モノが豊富な現在、せめて子どもの時に自分の傘を大切にすることを通じて、モノへのいたわり、やさしさ、いとおしさ、モノにも心があることを伝え育みたいものです。そんな意味で梅雨に感謝ですかね!?
 さらに、雨の時の傘や長ぐつ、最初は扱い方もぎこちなく、もてあましているようですが、だんだんと上手になり、自分の思うように扱え、広げた傘で周囲に注意は払い他人との間合いも掴んで行くものと想像します。そんな思いを正門のコメントボードに表しました。『傘、長ぐつ、上手に扱い大人になる。自分を育てるのは、自分』まさしく、梅雨が育てる子どもたち…ですね。

 今回は、父の日を意識して、お父さまの子育てという観点で、私が出会った書籍、雑誌等々でとても感動し、参考になった話をお伝えさせて頂きます。

【あるスポーツコーチの子育て】

人の話をよく聞いたり、場の空気を読めたりする精神年齢の高い子は上達も早いため、そうした機会や課題をなるべく多く与えたいと考えてきた。
これは長男の和仁が三歳の時のこと。スーパーへ行くと、キッズコーナーにお金を入れれば動く電動式の乗り物があった。和仁は跨って遊んでいたが、私は最初からお金を入れてやることはせず、その日はそのまま帰ることにした。
次に行った時、和仁の目線の先に、動いている乗り物で遊ぶ子供の姿があった。
和仁はその子が乗り物から降りるとすぐそちらへ駆けていったが、止まってしまった乗り物はもう動いてはくれない。
三回目、和仁は自分は乗り物に乗ろうとはせず、やってきた親子連れの姿を見ていた。
そしてその親がお金を入れて乗り物が動くところを目にしたのだろう。私のほうへ駆け寄ってきて、「お父さん!あそこにお金を入れたら動くんや」と実に嬉しそうに話をした。その時、私は単にそうかとお金を渡すのではなく、「おまえ、よう見抜いたなぁ!自分で分からんことがあった時には、まず周りをよく見ることが大事なんや。
おまえは凄い。きょうは好きなだけ乗せてやる」とわざと誉めちぎった。
和仁は七回連続で心ゆくまで乗り物に乗った。これと同じことがスポーツ指導にも言えるだろう。大人に求められるのは子供が自ら考え、答えを出すのをじっと待ってやることで、端から正解を教えてしまっては本人の身にならない。身体能力がいかに恵まれていても、それだけで強くなっていけるのは小学校六年生程度までがせいぜいで、頭を使えない子は必ず行き詰まってしまう。
子供が持つ可能性は無限だが、その能力を伸ばしてやるための環境づくりをし、いかに本気に、真剣に取り組ませることができるかは、我われ大人の役割であり、責任であると言えるだろう。

【甲子園】
私の父は、高校の時野球部の投手として甲子園を目指したそうですが、「地区大会の決勝で9回に逆転され、あと一歩のところで甲子園に出ることができなかった」と、小さい頃よく聞かされていました。そんな父の影響もあってか、私は小さい頃から野球が大好きで、野球ばかりやっていました。父もよくキャッチボールをしてくれました。
そして私は、小学5年から本格的に野球を始め、高校に入った私は迷わず野球部に入部しました。
ところが、高校入学と時を同じくし て、父が病に倒れてしまいました。その後入退院を繰り返し、高校1年の 冬からはずっと病院に入院したきりに なってしまいました。父の体がどんどん細くなっていくのを 見るにつれ、なんとなく重大な病気なのかなとは感じました。
父は、病床で私の野球部での活動内容を聞くのを一番楽しみにしてくれていました。
そんな高校2年の秋、私はついに新チームのエースに任命されました。それを父に報告すると、一言「お前、明日、家から俺のグローブ持って来い!」と言われました。翌日病院にグローブを持っていくと、 父はよろよろの体を起こし、私と母を連れて近くの公園の野球場に行くと言いました。公園に着くと父は、ホームベースに捕手として座り、私にマウンドから投げるように要求しました。
父とのキャッチボールは、小学校以来でした。
しかも、マウンドから座った父に向かって投げたことはありませんでした。病気でやせ細った父を思い、私は手加減してゆるいボールを3球投げました。すると父は、怒って怒鳴り、立ち上がりました。「お前は、そんな球でエースになれたのか!?お前の力はそんなものか?」と。私はその言葉を聞き、元野球部の父の力を信じ、全力で投球することにしました。父は、細い腕でボールを受けてくれました。ミットは、すごい音がしました。父の野球の動体視力は、全く衰えていませんでした。ショートバウンドになった球は、本当の捕手のように、ノンプロテクターの体全体で受け止めてくれました。30球程の投球練習の後、父は一言吐き捨てるように言いました。
「球の回転が悪く、球威もまだまだだな。もう少し努力せんと、甲子園なんか夢のまた夢だぞ」と。その数週間後、父はもう寝たきりになっていました。さらに数週間後、父の意識は無くなりました。そしてある秋の日、父は亡くなりました。病名は父の死後母から告げられました。ガンでした。
病院を引き払うとき、ベッドの下から 一冊のノートを見つけました。父の日記でした。
あるページには、こう書かれていました。「○月○日 今日、高校に入って初めて弘の球を受けた。弘が産まれた時から、私はこの日を楽しみにしていた。びっくりした。すごい球だった。自分の高校時代の球よりはるかに速かった。彼は甲子園に行けるかもしれない。その時まで、俺は生きられるだろうか?できれば球場で、弘の試合を見たいものだ。もう俺は、二度とボールを握ることは無いだろう。人生の最後に、息子とこんなにすばらしいキャッチボールが出来て、俺は幸せだった。ありがとう」

≪人格の根っこ≫
これは以前、強盗致傷罪で担当した少年の話です。彼は小さい頃、お父さんについてタバコ屋さんに行きました。その時、五千円札一枚出したところ、おつりとして八千円と小銭が返ってきた。
「お父さん、おつり多いやんか。おばちゃん、間違えてはるで」と言うと、お父さんは彼を殴りつけ、「余計なことを言うな。黙ってたら分からへん」と言い放ったそうです。ちなみに、お父さんのこの行為はつり銭詐欺で刑法上の罪に問われます。
この経験が少年の人格の根っことなって、後に彼は万引きを繰り返し、最後はひったくりを行って被害者が怪我を負ったために「強盗致傷罪」に問われました。
お父さんは「おまえには十分に小遣いを与えていたはずだ」と怒りをぶちまけていましたが、もともとは「バレなければいいんだ」と自分が五千円をごまかしたことがきっかけなのです。
このお父さんも一流企業にお勤めのエリートサラリーマンでしたから、もしかすると『論語』の言葉は知っていたかもしれません。『論語』の心とは、目に見えないものを感じる心だと思います。誰が見ていなくても、お天道様が見ている。
「そうやなぁ、おつり返しに行かなあかんな」と言って返していれば、この出来事は少年にとってまったく別の人格の根っことなったと思うのです。

以上、振り返ると私も子育て時代、何をもって子育てに臨んでいたのか?また、父になり初めて分かる親心、まさに、親思う心にまさる親心、そして、自分の言動が子どもの物差しになっていること…改めて大きな責任を感じました。きっと、大人とは、子どもに教えられ、育てられている人のことを言うのかもしれませんね。

園長だより vol . 124 (2013.5.31)