ふじようちえん

2011.9月30日 園長だより

2011年10月07日 / 園長だより

藤幼稚園のご父母のみなさまへ

 雲ひとつない秋空に爽やかな風が流れ、とても気持ちがいい季節になりました。
今、園庭には、運動会の練習の為に、いくつもの直線や円が描かれています。運動会が近づき、子どもたちの踊りやかけっこにも熱が入り、描いた白線を日ごと書き直すぐらい、みんな一所懸命に練習を積んでいます。
 朝、『先生、見て、見て、ちゅんそく!?』と呼び止められ、何だろう?と思い振り向くと、足元を指差しているお友だち、そこには新しい靴がありました。
『これで走るとすごく速いんだよぉ~』と言いながら走って行ってしまいました。多分、買ってもらった“俊足”?だったのでしょう。もうすぐ運動会、“かけっこ”に寄せる本人やご家族の思いを感じました。今年の運動会プログラムは、運動会がそれぞれのご家庭で一生ものの思い出になってほしいと言う思いを込めて、運動会終了後にはフォトスタンドとして使えるように考えてみました。どうぞ、ご活用ください。
 食欲、読書、スポーツ、特に、運動会の秋を迎え、皆様いかがお過ごしですか? 

≪すごい台風!!≫
 幼稚園では、すでにご案内のように開園以来子どもたちの育ちを見守ってきたコナラ(ドングリの木)が大風の為、倒れてしまいました。私も生まれて初めて経験する本当にもの凄い暴風雨、風速40㍍の強風にコナラも耐えることが出来ませんでした。
大変残念ですが、怪我人もなく、木が倒れただけで台風が通り過ぎて行ったことを不幸中の幸いと受け止め、改めて感謝したい気持ちでいっぱいです。
今後とも、様々な状況を想定し、安全管理に心して取り組んで参ります。

 以前、ドングリの木のまわりには、砂場や鳥小屋、藤棚がありました。特に、藤の木(藤幼稚園のシンボル)が棚になっていて、子どもたちがその太いツルにぶら下がって、遊んでいたことや木の根っこのところを掘って、クワガタを見つけては興奮している子どもたちの顔、顔、顔…昨日のように思い出しました。ドングリの木が倒れたことは、園舎改築時以前から木の健康を心がけて樹木医さんにも診て頂いていたのですが…卒園児、そのご家族、多くの皆様の思い出も無くしてしまったようで本当に残念に思っています。
 でも、倒れてしまったものは元には戻りませんので、気を取り直してみんなで片付けました。片付けながら、コナラの木はシイタケの原木に適していることを思い出し、シイタケ栽培に適した長さにカットし、保管することにしました。今後、シイタケ菌の準備をして、ふじようちえん産のシイタケをランチで食べてみたいと夢見ています。
 さらに、年長組のお友だちがドングリの実を持ってきてくれました。これを土に植えて、またドングリの木を育てようと思ってくれたのです。本当にうれしいですね。
一昨日、しっかりドングリの実を植えました。みんなの思いが、大きな、大きな木に成長するものと信じています。でも、その時は、みんながお父さん、お母さん、かな?
なんだか?どんぐりの木は倒れましたが、今度はどんぐりの木がつくる、ふじようちえんとの永い、永い付き合い方を教えてくれているような気がしています。
≪園長だより100号で、1号をふりかえる≫
 毎月、幼稚園やお子様の様子を伝えようとはしていますが、ついつい話が横道にそれて恐縮しています。こんな園長だよりも回を重ねて、100号を迎えることが出来ました。皆様には、いつも駄文にお付き合い頂き心より感謝申し上げます。
先日、資料を整理していたら、なんと、“園長だよりvol .1”を見つけました。
 約9年前のこと、今と言っていることがあまり変わっていませんね。ぶれないと言うか、進歩がないと言うか…今回は、そんな気持ちを持ちながら、なつかしの“園長だよりvol .1”をご紹介させて頂きます。

——————
さて、みなさん、幼稚園の『園』って、元々の語源をご存知ですか? 一説では、日本に最初に幼稚園ができた時、その内容から最も相応しいだろうという点から、『果樹園』の園からきたと言う説です。なるほど、果樹が実るには時間がかかる…手間をかけてゆっくり育てる…将来の実りに期待と願いを込めて、今の状態に心を尽くす。
果樹を作ることが保育(子育て)にどこか似ている感じがします。また、もう一説には、『苑』の字からきたとも言われています。昔、中国では、鹿や孔雀が放し飼いにされている場所or走り回れる環境のところを示したものとして苑が使われていました。まぁ確かに元気に子どもたちが飛んだり跳ねたりしている光景は、多分にそれを想像させます。私は、幼稚園の園は、上記の『園』と『苑』の両方の意味を持っていると考えています。
 では、そんな園で私たちは、何を最優先に考えなければいけないのか?
最も基本的なことですが、最も大切なこと。朝、登園の時、大切な、大切な“命”をお預かりしているのだ、と言う意識が強くあります。それと共に、お帰りに間違いなくご家族のもとへ、大切な“命”をしっかりお渡しすること。これがすべてと言ってもいいくらい大切なことで命を預る責任を日々感じております。
 そんな中、どんな子になってもらいたいかと言うと「思いやりがあって自立した子どもに育ってほしい」と思っています。よく私は、(少し乱暴な言い方ですが)幼稚園は、サルが人間になるところという表現をします。これは、無力な状態の乳児から、誰が教えるでもなく、ハイハイ…そして歩き出し…言葉、それも日本語や英語、いろんな言葉でしゃべり出すようになります。たった3年位でいろいろなことが出来るようになります。これは、教えて何かができたということではなく、いつの間にやらできるようになったということです。即ち、この乳幼児期には、小学校などで行われている教師から子どもへスクール形式の教えるという過程ではなく、いろいろなことができるようになる原動力・源・エネルギーが、子どもの中に存在しているということを意味しています。そして、その自己成長発達力は、環境しだいで開花するものと確信しています。
よく言う「生きる力」は、本来みんな持っています。重要なのは、生きる力を燃やせる環境をつくること、個人として自立していく環境を整えることです。そして、それが保育にかかわる人の大切な役目のひとつと考えています。       
——————

如何でしたか?今も変わらず、今後も変わらず、どうぞよろしくお願い致します。
子どもたちの育ちのために、一所懸命に頑張ります。
   
園長だより vol 100(2011.9.30)