園長だより 2006.12.25
2006年12月25日 / 園長だより藤幼稚園のご父母のみなさまへ
♪もう~いくつ寝るとお正月~、お正月には・・・という元気な声が聞こえています。
今、毎週ご覧いただいている“子どもニュース”の総集編を作りました。いろんな写真の表情や動作を見ていると、身体も心もいろいろな体験や経験をしてグンとおおきくなった二学期であったように感じられます。さらにお友だちとの関係が少し人間らしくなってきたというか、運動会、クリスマスフェスタなどの力を合わせて行うこと、協力することを経験してか?思いやりの心が実体験を通じて芽生え始めたものと思えます。
また、『○○ちゃんがほうきを持って、庭の落ち葉を掃いている !? 』なんて4月には想像もできなかったことが目の前で毎日、園のどこかで起きています。“子どものみずから育つ力”がしっかりと発揮されているということなのです。この場合、落ち葉が最高の教師です。
やっぱり、子どもは自然が育ててくれるのだと思える瞬間です。自然と子ども、相性がいいこのコンビを大切にして行きたいものです。
皆様、年の瀬を迎え、何かとあわただしい毎日ですがお元気でお過ごしですか?
風邪やインフルエンザ、また社会では毎日のようにノロウイルスが猛威をふるっているニュースが聞こえて来ます。特に、私たち幼稚園でもご家庭でも出来ることとして“うがいと手洗い”の徹底をみんなでして行きましょう。これから何かと飲食が多くなる年末年始です。注意しましょう。
二学期も皆様のご理解、ご協力により無事過ごす事ができました。心より感謝申し上げます。
新園舎への移行も子どもたちは、すぐに慣れてみんながいろんな使い方をしてくれて、それによってお友だちみんながいろんな経験をすることができました。園舎は言わば、『子どもが育つ道具の一つ』ですから、新園舎のいたるところを使ってお友だちみんなが育つことが一番うれしいです。
三学期には、さらに力を注いで子どもたちの育ちのためになるようみんなで頑張ります。
≪年賀状と大掃除≫
今年こそ早めに年賀状を書いて・・・と11月の年賀状発売日に心に誓ったことや、ホームセンターで掃除用具を見たときに決めた大掃除開始の予定の決意も・・・例年通りですがこの年末になってもまだ始まっていません。自分の決意と行動の差になんどもため息をつくばかりです。
そう言えば、いつからか宿題や提出物等を『期限ギリギリにならないとやる気が出ないタイプなんだ』なんて言い訳しながら部活をしたり、遊んでいたような記憶もあります。皆さんも『まだ、日にちがある。』『明日の夜やればできるし・・・。』なんて言ってたことってありません?
私の場合、子どものときの習慣や生活のくせ、考え方のくせ、心の持ち様のくせが今でもしっかりと生きながらえている実例かもしれません。頭では分かっているんだが・・・行動につながらない。よくあることです。むしろ、その連続が人生かもしれませんがね。
決意と行動が結びつかない人は、決意と行動の間に『“計画”が無いんだなぁ~』と自分ながら、つくづく思っています。
『なんて計画的なの~』のTVのCMではありませんが、そこに計画性があるや否やで時間の使い方に違いが生まれ、結果として生活の充実感に差が出ちゃうんでしょうかね。
特に、漠然とした思いよりも具体的な計画が物事を達成させるカギと言われています。いつまでに、何を、どのように・・・色々ありますが頑張って行きましょう。
確かに、年賀状や大掃除はだいたいの目安の時期は考えてはいるんですが、何かと用事でどんどん先に延ばしてしまった結果が今に至ったりして・・・。
こんなところで言い訳しているより、『早くやったら!!』の声が飛んできそうなので失礼します。
≪大人が見本≫
江戸の子育てについて大変興味深い内容ですのでご紹介します。
俗に『三つ心・六つ躾・九つ言葉・一二文・十五理(ことわり)で末決まる。』と言ったそうです。人は、脳と身体と心の三つが糸で結ばれていて、この糸を「こころ」として考えていたとのこと。 オギャーと生まれて三歳までに心の糸をいかにめぐらすか?が大事。具体的には、熱い・冷たい、辛い・甘い、暑い・寒い、快・不快などの感受性。そして、土や草木、気象、いろいろな生き物などの自然感覚、兄弟・仲間から人や世間の動き、そういうつながりの実体験を大切にしました。
江戸の寺子屋の入学日は六歳の六月六日で、六歳までの躾は、善悪の区別、相手を思いやる身のこなし。九歳までは言葉、挨拶はもちろん世辞が言えるよう訓練し、十二歳では商いにとって必要な文書を習ったとのことです。十五歳では、苦情処理のための弁解の書状なども含めた自然の原理を習得しなければ一人前の大人にはなれなかったそうです。
先日頂いた本『江戸しぐさ』の中の江戸の養育方針から引用させて頂きました。
現代と比べると、人間としての“生き方の教育”が世間一般にされていたようですね。確かに、江戸のように子どもの発達段階にそって子どもを養育するような視点は必要です。それも世間が教師となってやることが一番の教育と考えています。その意味でも、昔の近所づきあい、商店街でのやりとりやあいさつが無くなっていくのは社会の退化かも知れませんね。まして、“世間そのもの”はどこに行ってしまっているんでしょうか? 情報番組や朝のワイドショーがその代わりになって、騒いでいるだけのような気もしている昨今です。なんかさびしいですね。
他にも、他人にしても、他人にされても気持ちいい『江戸しぐさ』には、
・ すれ違う相手に傘の雫がかからないためのしぐさ・・・傘かしげ
・ お年寄りが電車にのって来たときみんなで少しずつ詰めて座席をあける・・・こぶし腰浮かせ
・ ぶつかりそうな狭い道ではお互いが右肩を引きます・・・肩引き
・ 七割が公道、道の端の三割が歩くところ・・・七三歩き(しちさんあるき)
お説教くさい道徳論ではなく、カッコイイ庶民の美学として広がり見についたマナーなのですね。
大人たちがこの美しいしぐさを率先して行ったために、子どもたちはカッコイイ大人に憧れそのしぐさをまねたのです。大人が子どもの見本だったのです。本屋さんで『江戸しぐさ』関係覗いてみるのも楽しいですよ。ご参考までに。
『来る年も蕎麦のように細く長く、病気せず、幸せを“そば”からかき入れられますように』との思いを込めて大晦日にはお蕎麦を頂きます。一年を無事に過ごせた事への感謝とお友だちみんなの健やかな育ちを願って頂きます。海老のてんぷらもいいんですが、お友だちのために先が見通せるちくわの天ぷらにします。
なんか最後は竹輪好きの一言になってしまいましたね。良いお年を!!
園長だより vol . 47 (2006.12.25)