ふじようちえん

2010.10月4日 園長だより

2010年10月05日 / 園長だより

藤幼稚園のご父母のみなさまへ

 さんま、栗、柿、梨、ぶどう、さつまいも、カボチャ、きのこ、新米、いわし雲?・・・最近は一年中、いつでも、どこでも、あらゆるものが食べられますが、やはり、季節のものはその季節に食するのが一番ですね。今、長時間保育のおやつ、ふかしたさつまいもを頬張りながら実感しています。確かに今年のさつまいもは、甘いですね。
 さわやかな秋になりました。皆様、いかがお過ごしですか?
読書の秋。芸術の秋、スポーツの秋、行楽の秋・・・は気にはなるのですが、前述のように私の秋といえば、食欲の秋ですね。(特に、秋に限ったことでは無いのですが・・・)
 運動会も、もうすぐです。楽しいご家族の思い出がいっぱい出来ることでしょう。それぞれの秋、お子様と一緒にこの季節を十分ご満喫下さい。

<バトンでドキドキ>
『すごい青空!!』と声がでるほどさわやかに晴れたある日、大きな声援の中を運動会のリレー練習が行われています。練習とは言え、競い合っている場面です。バトンを渡す側、受け取る側、お互いに真剣に取り組んでいます。ドキドキしながら、自分の順番が回ってくるあの感じ・・・大人なら、誰しもが経験のあることと思います。私も、緊張の中でバトンを受け取り、走り出したのですが、足が地に着いていないと言うか、練習とは違う感じで会場の声援の中を走った記憶があります。クラスの順位なんかより、とにかく抜かれないで次の人にバトンを渡すことしか考えていなかったですよね。そして、自分の役目を果たしたら、ほっとした気持ちで今度は応援にまわります。リレーを一言で言えば“緊張感と達成感の競技”だと言えます。
まさしく、だれも助けてくれなく、一人で立ち向かわなければならないリレー競技の中に育ちの要素がいっぱい詰まっているのです。そして、この経験こそが、自立へと向かう運動会の本質なのです。リレーだけに限らず、ご家族の前で演じる体操や踊り、かけっこ・・・すべての競技の中にある大切なものなのです。
そんな気持ちも心の片隅において、一所懸命がんばる子どもたちを応援して下さい。

<ハチが来る花、来ない花>
『今、やろうと思ったのに・・・』子どもに何か言うと、必ず言われる返事の一つです。
また、自分でも言ったことがある言葉ですね。
 仕事でも勉強でも、「人にやらされている」「しなければならない」と思った瞬間、やる気はうせ、何か乗り気では無く、顔が曇るようになるものですね。逆に、物事は、自分から進んでやろう、乗り越えようと思うと、気持ちが入り、能率が上がり、自然と笑顔が出てくるものです。
子どもに自ら行動するように促すこと・・・わかっていても難しいですね。
 ある方が、言ってました。『今の子は、輝いていない。造花を見ているみたいだ。山百合のようにまわりを輝かせる存在になってほしい。』おそらく、その方は、表面上はきれいで格好がいい若者と多く会っていて、造花に見えたんでしょうね。
たまたま、山百合のように自分の力で得意なことを自ら行っている若者たちに会わなかっただけなのだと思います。何事も自ら行う人は、キラキラ輝いていますものね。
確かに、山百合は、誰に頼まれて咲いている訳ではないですし、その土地にあった環境で花開き、香りを出し、やがて花にハチもやって来ます。ちなみに花屋の花には、ハチが来ないのだそうです。要するに、作り物のかっこ良さが持てはやされる今の社会、ぜひ、内側から輝く本物の人になってほしいと言うことなのです。その為には、自分の好きなこと、得意なことを思いっきりやることです。

<納豆とふりかけ>
 いろいろな親子関係がありますが、父と子、母と子の距離、密着度を表現するのに、「納豆型」「ふりかけ型」があると思います。納豆のように、べたべたといつまでも糸を引く言わば四六時中密着型の親子関係、かたや必要な時だけ一言、二言、言葉をかけて見まもる親子関係、かけ過ぎるとしょっぱいし、少な過ぎると美味しくないし難しいものですね。納豆型が母親に多く、ふりかけ型が父親に多いと感じますが、・・・いかがなものですかね?
毎朝、納豆でも飽きるし、ふりかけばかりだとなんか味気ないし、両方のバランスが大事のようです。他に和食のメニューには、たまご、のり、梅干、漬け物・・・これらは何を意味しているのか想像してみるのも面白いかもしれませんね。私は、十数年前に教わった納豆に生卵を入れた「納豆たまご」という食べ方をよくします。勝手に分析してみると、この「納豆たまご」型?は、親の行動を見させて育てることを意味していて、言わば、「親の背中見させ型」とでも言うんでしょうかね?でも、我が家の子どもたちや家族は、好きじゃないのか、勇気がないのか、気持ち悪いとか言って食べてくれません。「親の心、子知らず型」なのでしょうか・・・?

<子どもの遊びにゃ~、訳がある>
 滑り台の面白さは、その落差が子どもの脳を刺激し、その刺激がやがて快感になります。気持ちよさを求めて、子どもたちは、もう一回、もう一回と何回も滑りたがります。お子様にせがまれたことありますよね。つまり、滑り台は、子ども自らが自分自身を育てている道具と言うことなのです。遊ぶから遊具と言っています。
 また、子どもたちが広告の紙を丸めて、剣といわれるものを作り遊んでいます。昔のチャンバラごっこまでは行きませんが、戦いのポーズをとっています。剣を振り回すと周りの人にぶつかるので、いつも周りにお友だちがいないか?確認して遊びましょうと約束しています。が、中にはついつい周辺の人や机、ロッカーにぶつかる時もあります。なんでもすぐに禁止することは簡単ですが、周りに気をつけながら遊ぶところに、その子の周辺感覚、振り上げ加減の調整、他者、周りへの思いやり・・・いろいろな点からも育ちの役にも立っているのです。遊びの中に育ちの要素がいっぱい詰まっている一例でした。

園長だより vol . 87 (2010.10.4)