ふじようちえん

園長だより vol . 222 (2020.6.30)

2020年06月30日 / 園長だより

藤幼稚園のご父母のみなさまへ

緊急事態宣言が解かれ、今月から、分散登園を経て、通常の保育ができるようになりました。子どもたちの元気な笑顔や歓声が戻ってきたふじようちえんは、息を吹き返したようにイキイキしています。やっぱり、幼稚園は、子どもが主役ですね‼
初日から2、3日は、登園時やバス乗車時、親と離れたくなくて泣いたり、叫んだり…いつもなら4月に見られる光景もありましたが、今は、ほとんどありません。お友だちやクラス、先生方に慣れてきて安心できたようで、毎日、幼稚園に来るのが楽しくてしょうがないという感じで、玄関で満面の笑顔で『おはようございます‼Good Morning!!』とごあいさつしてくれます。思わず、こちらの声も大きくなりますね。
先日、あるお母様から、子どもが帰宅したその時から、『早く、幼稚園に行きたい‼って言うんですよ‼』と、園の立場としては、夢のあり方と言うか?理想形と言うか?私どもにとったらうれしさの極みのような子どもの声を聞きました。
確かに、コロナと共存せざるを得ない新しい生活様式は、不自由さもありますが、手洗い、消毒、換気を遵守して、これからも安全第一に子どもたちの育ちを支えて参ります。まだまだ油断禁物、安全は、何物にも代えられないものと思って過ごして行きます。今後とも、ご理解ご協力の程、どうぞよろしくお願い申し上げます。

≪雨で育つ、子どもたち‼≫
ふじようちえんでは、雨が降ると屋根から出ている雨どい(ガーゴイルと言います)から、滝のように雨水が落ちてきます。その滝のような雨水の勢いが面白くて、子どもたちは何回も、何回も、手を伸ばしては雨水に触れ、その感触を楽しんでいます。
袖がぬれても楽しさいっぱいです。多分、子どもたちには、雨は憂鬱なもの、いやな存在という観念が無いようで、滝のような雨水に触れたり、雨受けの水たまりへ長靴で入ったりして楽しんでいます。雨も遊び道具の一つなんですね。そして、その雨に濡れる感覚が、成長や生活環境の変化とともに、雨は避けるべきもの、防ぐべきもの、雨をネガティブなものと捉えて行くようです。逆に言えば、雨と遊べる幼児期こそ人生で貴重な時間だし、雨に濡れる感覚も大事にしたいものです。何故か?と言えば、幼児期に実体験を通して得た感覚が大事だと思うからです。例えば、しとしと雨、土砂降り、ザーザー降り・・・雨の降り方一つにしても体験しているか否かで、将来、小説を読んだ時に感じる情景が違ってくるものと想像します。可能な限り、実感を伴った理解をしてもらいたいですね。このように、本当に大切なものは、大人になると忘れてしまうものなのです。雨で遊ぶ子どもたちを見ていて思いました。大人が雨に濡れたら・・・只々、風邪ひいて、寝込むだけですけどね。ご自愛くださいませ。

≪給食もいい、お弁当もいい‼≫
ある日のお昼ご飯の準備の時間、お弁当のふたを少しだけ開け、その隙間からこっそりとお弁当の中身をのぞき込んでいる、とてもかわいらしい光景に出合いました。
いっぱい遊んで、お腹がすいて、待ちに待ったお昼ご飯、目の前にお弁当を置いて、他のみんなが給食の準備ができるまで待っています。今日のお弁当の中身は何かな?と思う気持ち、とてもよくわかります。
幼稚園では、子どもが育つことを大事に思えば思うほど、出来るだけ体に良いものを食べてもらいたいと思い、玄米、麦飯、十穀米、五穀米、胚芽米…等々の穀物も食し、さらに出来るだけ無添加の食材を使っています。しかし、いくら気を使って良い食材、原材料等々にこだわっても、『お母さんのお弁当には到底かなわない』と私は常々言っています。確かに、お母さんの作ってくれたお弁当は、子どもがそのふたを開けた時、母のにおいを感じ、幼い心に大切な記憶として刻まれ、いくつになっても、しっかりと記憶に残って行くものです。『お弁当、鼻と舌と心に刻む母の味』ですね。  
お母さんのお弁当には及ばないけど、あたたかく、おいしく、多くの人の愛情がいっぱい入っている幼稚園の給食、これからもより進化して、子どもの育ちに貢献できる昼ご飯を目指して頑張ります。そして、給食、お弁当、どちらでもOKにしていて、選べるのがふじようちえんのお昼ごはんです。これは、例えば、どんな色のTシャツを着たいの?自分で選んでね‼と同様に、子どもそれぞれが食べたいものの意向を尊重した上で、個人差を認めてあげるという思いがあるからです。
遥かに遠い目標として、みんなが大人になり、やがて高齢者になっても、思い出して欲しい、そんな給食を提供したいと思っています。でも、その時はすでに22世紀、未来のその時点から振り返ってみて、思い出してもらえる給食でありたいのです。『22世紀のおふくろの味!!』を目指しているんです‼とお伝えしています。

≪顔は個人のもの、社会のもの、そして心の化粧を‼≫
JR立川駅北側エリアにオープンしたGREEN SPRINGS、その中にあるFujiれもん保育園の2階で『かおてん』というとても面白くアートと触れ合える展示がされています。併せて「エリックカール:遊ぶための本」も開催され、さらに3階には、ふじようちえんを設計した手塚貴晴さんが館長を務める「PLAY PARK」もあって、ご家族で楽しめるものと思います。どうぞ、行かれてみてはいかがでしょうか?
昔の話で恐縮ですが、「顔」で思い出したのが、元京都大学総長 平澤興氏の顔についてのお話を思い出しました。以下、その講演内容をかいつまんでお伝えします。
顔のことをいえば、自分の顔でありますが、同時にこれは社会に公開しておるものです。顔だけは裸であります。そして、顔は法律的には確かに自分のものです。
しかし、影響から考えたならば、明るい顔が明るい社会を、暗い顔が暗い社会を呼ぶように、顔は同時に社会のものであります。
 美しくともつまらん顔があります。そして、いわゆる世間的に美しくはないけれども、誠に素晴らしい顔があります。望ましいのは、世間の人が見てもきれいで、我々研究者が見てもよい顔がいちばんよいのでありましょうが、そのよい顔というのはみなさんの生まれたままでもってきた顔ではないのであります。それに精神の美が加わらなければ、本当の化粧の仕上げはできないのであります。いかように化粧をしても、最後はもうひとつ加えて、心の化粧がなければ本当の顔にはならんのであります。
 例えば、美容師たちがいくら化粧を施しても、やっぱり最後にもうひとつ、心の美、心の化粧というものが残るのです。化粧は、外から加えられる化粧と、本人自身が心を清めて、心を尽くして美しくして心の中から出る表情、外の美と内の美と両方が加わらなければ本当の化粧は仕上がらないのであります。それにうれしいことには、どんな若い人もやがては年寄りになるのでありますが、いわゆる外の美というものは落ちるのであります。しかし歳がいきましても、心の美というものは、どんなにシワクチャになっても本当に美しい顔はますます美を加えるのであります。以上。
『かおてん』から、心の化粧へ・・・こんな美しい日常でありたい‼・・・ですね。

園長だより vol . 222 (2020.6.30)