ふじようちえん

園長だより:藤幼稚園のご父母のみなさまへ

2006年08月23日 / 園長だより

♪南の島の大王は~、その名も偉大なハメハメハ・・・夏にぴったりの大きく元気な歌声が園舎に響いています。いよいよ夏休み、海や山へといろいろなご計画で楽しい時をお過ごしのことと思います。 皆さま、いかがお過ごしでしょうか?早くも夏バテ?なんて声はないですよね。
でも、この立川周辺もどうやら地球温暖化に伴い亜熱帯化されてきたようでムシムシ暑いです。
お体大事にされて下さい。私も周りから1人で暑がっているんじゃないの?なんて声を聞きながら汗を拭き拭き頑張っています。
 先日の七夕まつりにはお忙しい中お越し頂きありがとうございました。お陰様で無事終了することが出来ました。皆さまのご協力に感謝申し上げます。また、周辺の方々にも好評で多くの方が神社に訪れたそうです。さらに新聞(東京新聞)にも記事として取り上げられたと伺い驚ています。
それにしても、七夕飾りもあれだけ集まるとすごくきれいでしたね。短冊に書いた願いが叶うようにと神社様で“お祓い”までして頂きました。この場を借りて阿豆佐味天神社様にお礼申し上げます。ありがとうございました。みんなの願いは、必ず叶うと先生は信じています。
子どもたちが浴衣や甚平で神社に集まり、神社境内を駆け回る風景、特に社の縁の下にもぐる光景は時間がタイムスリップしているかのような錯覚する昔の日本の風景そのものでしたね。
子どもたちにこのような文化や伝統、神社の空気を伝えられたらうれしいなと感じた一日でした。

≪目指すものは・・・≫

先日のサッカーワールドカップでの日本代表の戦いぶりは多くのことを勉強させられました。予選を突破した国々はみな強い気を発し、ここ一番に必ずゴールして行く格闘技みたいな激しさを持っていました。残念ながら、日本にはそういう選手がいなかったようですね。これがよく言われる決定力不足という事なんでしょうね。
“アンダートウェルブ”と言って12歳以下の少年サッカー世界大会があり、そこでよく勝つのは日本や韓国とのことです。これはこの年齢にしては練習量が圧倒的に多いからだと言われているそうです。しかし、いざ中学や高校でサッカー部に入部する段になってみると約半数近くがなんらかのスポーツ障害になっているそうです。がんばる事は悪い事ではありませんが、真近な目標ばかりに目が行ってしまって“大人になってどうする”という視点が忘れられがちなのが現実のようです。『どこを目指してがんばるのか? 長き人生の中でどこに目標を置いてがんばるのか?』がハッキリしていない中でのがんばりになってはいないでしょうか。
私もいろんな事であてはまる事がありました。その昔、学校の部活でバスケットボールをやっていた時があり、先輩に『うさぎ跳び、グランド3周!!』なんて命令されて泣く泣くやっていたことも思い出されます。が、あの時のむやみなうさぎ跳びは何だったんでしょうか?一見、その時の部活動は活発にしているかのように見えていたにちがいありませんね。でも、今思うと・・・。
人生に無駄は必要・・・と思いますが、これはこうするもんだと社会全体が思っていた時代だったんでしょうね。何せ根性論、精神論華やかな『巨人の星』や『あしたのジョー』の世代なもので・・・。
ちなみに、ドイツでは12歳以下の子はだいたい週2回位の練習とのことです。何故かと言うと『大人になって優勝したいから』と言われたそうです。なるほど大事なことは、これから先、生きていくこと、目指すものに向かっていく確実な歩みが大事という感覚があるんですね。
教育に置き換えてみると、見かけ上ではすごく整っている学校教育等も、知識のつめ込み、技能の速成にばかり注目されて、その知識を働かせ、活かせる教育、その根底となる生きていく強い意志、力を育てること大事だということになるんでしょうかね。でも、この強い意志の育成は学校では出来にくい事のような気がしています。おそらく、人生に対する強い魂の育成は、家庭の役目、親の力によるものと思っています。一人一人の異なる育ちの中で自ら育とうとする力、その内発力こそ育ちの源ととらえ、この力を充分発揮できる育ちの環境を整えることが私たち親に今求められているような気がしています。
そう言う私も一人の親として、遠い未来を見据えて今対応することよりもついつい場当たり的、その場その場での対応、処置で日々追われているというのが現状だなと恐縮しつつもこんな事をお話させて頂きました。
『大人になってどうする?』という視点、保育・教育する立場でも常に心がけたいものです。
それにしても『がんばれ、ニッポン!!』と思いつつもサッカーやその他のことも含めて何か日本は世界から相当遅れていると感じはじめて来た今日この頃です。

≪砂場の始まりは?≫

皆さんは『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』ロバート・フルガム著をご存知ですか?読まれた方は分かると思いますが、「人間、どう生きるか、どのようにふるまうか・・・中略・・・私は全部残らず幼稚園で教わった。人生の知恵は大学院という山のてっぺんにあるのではなく、日曜学校の砂場に埋まっていたのである。」ということが書かれている本です。が、わずか2,3ページのこの部分を除いては幼稚園の“よ“の字も出てこない書物です。幼稚園の砂場が注目されたのはこの本と猫がおしっこをしてしまうのでその対策を・・・の時ぐらいだと思います。
砂場ってみんな知っているけどその始まりはいつだと思いますか? まず日本最初の幼稚園(明治9年)にはありませんでした。当時の教育は先生主導型でみんな同じようにきっちり活動をしたとのことです。やがて、子どもの自由と自発性へ着目し、外国から自由教育という思想が入り、実際に目の前で行う砂遊びの大事さに気づき始めたのでした。外国の砂遊び、砂場の紹介から日本では普及して行ったとのことです。そして、その外国とはアメリカでした。では、アメリカではどのようにして砂場が始まったのでしょうか?
アメリカに1人のM . Eザクルシェフスカというドイツ生まれの女医さんがいました。ある時、ドイツに帰った女史はベルリンの街角で砂が盛ってある所に人が群がっているのを見ました。
時は1885年、ボストン、ノースエンド地区の貧民街では、毎日のようにケンカや犯罪が横行していました。このような底辺の人たちの子どもたちを何とかしたいとの思いから女史は、昔ベルリンの街角で見た砂を盛った場所を作り、子どもたちの遊ぶ場所を提供してみました。するとその場所は子どもにも大人にも大人気になり、治安も安定してきたとのことです。遊びに遊んで夕方スカッとした顔で帰っていく子どもたちに砂場の効果、教育的成果を社会が認め始めました。
こうして社会福祉的なものとして始まった砂場(当時はSand Box とかSand Gardenと呼ばれていた。)が、その教育的効果が知られ、プレイグランドムーブメント(遊び場造り運動)と相まって全米に広がりました。今でも、アメリカ、ボストンのパーメンターストリートには、砂場発祥の地としてもプレートがあります。(以上先日、同志社大学の笠岡教授より教えて頂きました。)
砂場遊びはなぜ楽しいのか?と聞かれたことがあります。私は、『砂場は、ただ砂をさわるだけで楽しいですから、大人も子どもも』と訳も分からない答えをした記憶があります。この夏、もし機会があったら、子どもと砂山を作り、しっかり固めてからトンネルを掘ってみて下さい。トンネルが完成して子どもと親の手と手が結ばれた瞬間に砂場の価値がわかると思います。
また、砂場の一番底はどうなっているのか?子どもさんと一緒に掘ってみては如何でしょうか?
楽しい夏の思い出がいっぱい出来ますように願っています。 園長だより                          vol . 44 (2006.7.13)