2015年1月30日 園長だより
2015年01月30日 / 園長だより藤幼稚園のご父母のみなさまへ
冬のこの時期、幼稚園からは美しい富士山をはじめ、白く化粧した奥多摩、秩父、丹沢等々の山々がはっきりと望めます。そこから吹いて来る風でしょうか?北風が園舎を通り抜け、毎日揚げている園庭の旗を大きくたなびかせています。とても冷たい空気です。そんな中、子どもたちは、登園するとすぐに屋根の上に上がり、元気な声をあげてぐるぐる走りまわっています。最近、言われなくなりましたが“子どもは風の子”と言う言葉がぴったりの光景です。ちなみに、この言葉、“大人は火の子”と続くらしいのです。まさしくですね。
また、あるお友だちは、この寒さで出来たバケツ氷を手にして私に見せに来てくれました。その手に冷たさを感じながらも張った氷を見つけ、手にしたうれしさで、目がキラキラ輝いていました。大体、氷を見つけると割るか、手で持つかしますね。こう言う自然を感じる実体験を子どものうちにしておいてほしいですね。氷は氷でも冷蔵庫の氷とは意味合いが違うのです。そして、やがて氷が溶け出し、水が手首に垂れて来ました。お友だちは、溶けないように考えて日影に置こうと言いながら私の前から去って行きました。他愛も無い光景ですが、子どもたちはこんな冬も遊びにして、みんなで育ち合っています。
皆様、いかがお過ごしですか?本当に早いものであっという間に新しい年も二月に入ります。まだまだ寒い日が続きますが、風邪など引かないようにご自愛下さい。
≪鬼の役目≫
2月3日は節分です。幼稚園や神社で“鬼は~外、福は~内”という元気な子どもたちの声が聞えて来ます。この日の為に、鬼のお面や豆を入れる角箱を作って準備し、当日は、豆をまいたり、鬼にもなって日本の文化、風習を体験します。一般的に節分時の鬼は、邪悪なものの代表とされています。その鬼を的に豆を投げ、鬼を退治して、福がいっぱいありますようにと願いを込めたものです。
子どもたちの日常で触れている鬼は、少し違います。鬼ごっこから始まり、たか鬼、バナナ鬼、こおり鬼、あぶくたったやドロケイ(最近はハンターごっこ、走り方もTV番組と同じ)等々の仲間遊びの中で、誰かがやらなくてはならない役としての鬼の存在があります。遊びの中で鬼がいなくて、みんなが良い人だといろいろな遊びは成立しない構造なのです。でも、この鬼、なって見ると・・・結構、一人きりで孤独なのも事実です。皆さんも記憶にありますよね。そして、タッチしたり、名前を当てないとまた鬼になってしまいますが、タッチしたり、名前を当てると、今度は立場が逆になり、今度は鬼に捕まらないよう逃げる立場になります。
私はこの両方の体験をすることで、遊びの中での人との関係性を理解出来ていくものと考えています。そんな意味でも鬼になる体験はとても大事です。また、逆に、鬼になれると言うことは、一人前と周りから認められているからこそと言えます。私も、味噌っかす、お味噌、とか呼ばれ、遊びの人数には入れてもらえないことも遠い遠い昔の記憶にあります。
そんな訳で、子どもたちの育ちには鬼も充分に役立っていると言うことをお伝えしたいと思いました。大人になれば、別の意味で・・・鬼が日常に居るような気がします。私だけですが・・・(?!)
≪器用さの源≫
TV番組で、“ものづくり大国・日本”という題目が目にとまりました。確かに、日本人は手先の器用さを発揮して、様々なものを作り出したり、海外のものをアレンジしたり、コンパクトにして使いやすくしたりすることを得意として、世界から高い評価を頂いています。また、逆に“失われた子どもの手先の器用さ”と題した新聞記事も目にしました。その記事では、安全重視で小刀を使わせないことが器用さの劣化の原因であると、若干時代背景が異なるような指摘をされていました。
さて、手の器用さを産み出す源は何なのでしょうか?皆さん、何だと思いますか?
私は、日本人の器用さを産み出している源泉は、“折り紙”と“箸”だと思っています。
お部屋で折り紙を折る子どもたちは、折り紙の角と角をきっちり合わせたり、左右対称になるようにこだわったり、とがるところではしっかりとがらせたり・・・と言うようにそれぞれの子どもの思いのままに手を動かして折り紙を楽しんでいます。また、私が言うまでもありませんが、箸を使う時、挟んだり、摘まんだり、裂いたり・・・様々な動きが可能です。毎日、ご飯を箸で食してきた者として、必然的に器用にならざるを得ないと思いました。また、手の器用さだけではなく、折り紙を楽しみながら行うキッチリと紙を合わせる動作は、ある一定の秩序感を生み出しました。大きくとらえれば、それこそが日本人の勤勉さにつながる律義さではないかと思っています。
いずれにしても、時代は折ったり、摘まんだりすることから、スマホやタブレットの軽くタッチする動作へと変わろうとしています。このタッチの延長上にどんな未来があるのか、楽しみでもあり、少し心配でもあり・・・と言うところです。日本人が器用じゃなくなるのかも知れませんし、それを凌駕する技術が生まれるかも知れません。軽く触れる、タッチすることと、折り紙や箸を使うことが共存して行ける未来がいいなと思います。そんな未来を夢見ながら、子どもたちの受けねらいで、妖怪ウォッチのジバニャンの折り方でも練習してみます。(ついて行くのも大変です!)
≪親も育つ、劇発表会!!≫
もうすぐ、劇発表会です。子どもたちは、力を合わせて一所懸命に練習しています。
最初、劇のお話を理解し、そして、自分の役になりきり、台詞を覚え、出番を待ち、立ち位置を確認し、自分の台詞を言う、台詞を言う順番に緊張したり、歌ったり、踊ったり、人前で劇を演じることをしながら、みんなで劇を楽しんでいます。
きっと、当日は、練習で頑張った以上に、達成感、満足感、そして、それぞれに自信がつくことでしょう。演じて育つ、それぞれの自立への一歩になると信じています。
ただ、この劇発表会、残念ながら親がいくら心配しても、演じるのは子どもなのです。親は、観客席からは見守るだけで、何もしてあげられないのが現実です。結局、親って、育っていく我が子を見てあげることしかできない存在なのかもしれませんね。それも、いつも一番近くにいて・・・親になるのも、修行ですね。
でも、心配する親の気持ちをよそに、練習の成果を発揮して、しっかり演じてくれることでしょう。ご家族で、お子様の成長、そして、劇をハラハラ、ドキドキ、暖かく見守って頂ければうれしいです。
皆様のお越しをあったかくしてお待ちしています。
園長だより vol . 147 (2015.1.30)