ふじようちえん

2013年12月20日 園長だより

2013年12月20日 / 園長だより

藤幼稚園のご父母のみなさまへ
 
 「良い子にしてないと、プレゼントもらえないよ!!」みんな、サンタさんからのプレゼント、本当に楽しみですよね。でも、ヨーロッパでは、サンタと一緒にムチを持ったクランプスという恐ろしいお供がやって来て、言うことを聞かない悪い子にプレゼントの代わりにお仕置きをするらしいのです。まるで、「泣く子はいないか」「親の言うことを聞かない子はいないか」と家々をまわる秋田のなまはげのような感じです。離れている場所で、同じような伝統行事があることも不思議ですよね。いずれにしても、子どもたちに「いい子だった人~」と聞くとその先のプレゼントを見据えているのか?普段にも増して「はぁ~い!!」と元気に手があがる今日この頃です。

今年もあわただしく過ぎ去ろうとしていますが、皆様、いかがお過ごしですか?
クリスマスフェスタやお餅つきのお手伝いにと、ご父母の皆様にご協力頂き、子どもたちも楽しく思い出に残る時間を過ごすことが出来ました。そして、本日、終業式を行い、二学期を終えることが出来ました。ありがとうございました。
どうぞ、クリスマスにお正月、楽しいご家族様の時間をお過ごし下さいませ。

≪マメ知識から私たちの役目まで≫
 ご案内の方も多いと思いますが、雑談で先生たちと話していたら、案外知らないことだと気づき、お話してみます。それは、コピー用紙のA判、B判の違いです。
今、日本でよく使われるのが、A4判です。実はこの規格、日本のものではなくドイツの規格が基になっています。考案したのは、ノーベル賞も受賞したドイツの物理学者オズワルトという人だそうです。A4判の基本はA0判(841mm×1189mm)で、その半分がA1判、そのまた半分がA2判というように数字が大きくなるほど用紙の大きさは小さくなっていきます。辺の縦と横の長さの比は、1:√2(ルート2)です。一方、B判は、日本で考案された規格です。江戸時代の徳川家御用達の公用紙がこのサイズの基になっているそうです。B判の基本はB0判(1030mm×1456mm)で、こちらもA4判と同じで、数字が大きくなるほど用紙の大きさは小さくなります。実は、こちらの辺の比率もA判と同じ1:√2なのです。考案した国も人も違うのに同じ比率になっていることが不思議ですね。
約20年前まで日本ではB判が主流で、幼稚園でもB4判を使っていました。国際基準導入やユニバーサル化(文化・言語・国籍の違い、老若男女といった差異、障害・能力の如何を問わず利用することができる製品)の流れの中で現在はA判(特にA4判)が主流になっています。
確かに、私の小、中、高、大学時代、テスト用紙やお知らせはすべてB4かB5判でした。そして、社会人となり、A3、A4判に替わった時、正直、大きくて使いづらい大きさだと思いつつ、使い始めたのを憶えています。が、今に至ると私は、B判が小さく、狭く、使い勝手が今一・・・と感じるほど今はA判に馴染んでいます。
慣れることはいいことですが、慣れ過ぎは危険かもしれません。つまり、この慣れの中にこそ、私たちにとって本当の怖さが潜んでいるような気がします。つまり、慣れとは、変化を受け入れること、そして、それが日常になることの中に観察力の衰えや変化に気づかない心が芽生えるという特徴を持っていると思います。
私たちは、毎朝の挨拶、顔色等々の中に子どもたちの変化を見つけます。変化に気づくことから一日が始まります。そして、出来ないことが出来るようになったこと等々、心や体の変化に気づき、その成長を共に喜び、応援してあげることが更なる育ちへつながるものと考えています。私たちの小さな変化に気づく力が子どもたちの育ちにはとても大事なのです。何事も、今日が初日、代々初代、慣れに注意!!ですね。

≪はきものをそろえる≫
先日、長野県北信地域の私立幼稚園教諭研修会に講師としてお招き頂き、ふじようちえんのこと、幼児教育のこと等々をお話させていただきました。本当に微力ですが、園運営のことや幼児教育の振興に役立てばと思い、時間の許す限り出かけています。今までも時々あり、長崎、横浜、大阪、京都、金沢、茨城、名古屋、シンガポール・・・そして今回は長野でした。
講演の前日、訪れた園が円福幼稚園というお寺様が運営する立派な幼稚園でした。玄関にある一枚のポスターを目が止まりました。それは、約15年前、ふじようちえんの旧園舎時代、永らく玄関に掲げていた「はきものをそろえる」というポスターと同じものだったのです。聞くと、先代の園長先生が残された多くのお言葉の中の一つとのことでした。まさにこの園こそ、この「はきものをそろえる」という言葉の発祥地だったのです。偶然とはいえ、何か大きなご縁を感じました。

以下、その時にご紹介頂きました仏教法話を皆様にお話しさせて頂きます。

 「ごめん下さい」と玄関にはいったとき、はきものがそろってるお家は家中の人の心もそろっているそうです。お靴さんも、スリッパさんも双子の兄弟です。仲よくそろえてあげると「ありがとう」と喜びますよ。けんかさせて、バラバラにしておくと悲しみますね。誰かが乱してぬいでおいたはきものも、可愛そうですから、そっと、そろえておいてあげましょう。お便所のスリッパさんはあとから入る人のために、向こうむきにぬいで出ましょう。そうすれば、あとから入る人が「ありがとう」と喜びます。そして、みんなが、向こうむきにぬぐようになると、家中も仲よくなり、この世も平和になるのです。あとのことなんか知ったこっちゃない、入るものが直して入ればよいのだ、と乱して出て来ると、あとから入る人が困ります。そして、だれもが人の困ることなんか関係ないやといっていると、家中もてんでんばらばらになって、この世も争いになってしまいます。(中略)
この説法を聞いたおじいさんが「和尚さん、わしはこの齢になるまで、便所のはきものを向こうむきにそろえて出れば、後から入るものが喜ぶということをしらなかったがな、和尚さんの話を聞いて胸におちたで、あれから実行してみたら、ばあさんもやるようになり、息子や嫁も、そして孫までまねるようになって、家中がお互いをおもいやる心になったです。あと何年生きるかわからねけれど、自分の代だけでなく、子孫のために、はきものをそろえたいと思うのです」とお礼をいって下さいましたが、後から来る子孫のために、はきものを平和の方へそろえておく、それを後生願いというのです。ほどなく来る廿一世紀の未来のために、今日も私たちは、はきものをそろえようではありませんか。
「はきものがそろうと心もそろう。心がそろうとはきものもそろう。
 ぬぐときにそろえておくと、はくときに心がみだれない。
 だれかがみだしておいたら、だまってそろえておいてあげよう。
 そうすればきっと、世界中の人の心もそろうでしょう」
 この「はきものをそろえる」という、小さな心がけの中に、未来があります。自分のはきものをそろえないような心では、人生のすべてが無責任のやりっぱなしになってしまうのです。禅の修行は、まず「はきものをそろえる」ことから始まります。それが坐禅の心であります。「仏道を習うというのは自己を習うなり」と道元禅師もお示しであります。自分のはきものをそろえ、人のはきものをそろえ、世界中の人の心を仲よくそろえる修行が仏道であり、仏教徒の誓いであります。
 はきものをそろえましょう。そうすれば、心もおちつき、スポーツも強くなり、勉強もできるようになります。みんなのはきものをそろえたり、お便所のスリッパをそろえておくと、仏さまが喜ばれ、あなたの運勢は必ず開き、きっとしあわせいっぱいになります。
はきものをそろえましょう。                         合掌

以上、ご参考にして頂ければ幸いです。
お正月・・・もちつき、書き初め、年賀状、お参り、親戚、お年玉・・・お年玉をもらうときは必ず両手で受け取り、相手の目を見てしっかりあいさつ「ありがとうございます!!」頂いたお年玉は、誰から頂いたかを言って必ず親に渡すこと。きちんとさせたいお年玉との付き合い方でした。
本年も、ありがとうございました。来る年が、皆様にとってさらなる良い年となりますように…お祈り申し上げます。

園長だより vol . 131 (2013.12.20)