ふじようちえん

園長だより vol . 211 (2019.9.30)

2019年09月30日 / 園長だより

藤幼稚園のご父母のみなさまへ

紅葉のニュースに心さそわれる今日この頃です。皆様、いかがお過ごしですか?
幼稚園でも秋を迎え、園長席の前には、栗、柿、さつまいも、かぼちゃ、とうがらし、とうもろこし、くぬぎ、ひょうたん、どんぐり、ドジョウ!?…様々な秋の味覚や風情が並んでいます。毎日、子どもたちが栗のイガをさわっては、トゲの痛さに騒いだり、重たいカボチャを持ち上げたり、どんぐりに触れては、はしゃいでいます。まさに、“体験は、教えられない”見て、ふれて、感じて、考えて、行動し、子どもたちが育っている状況そのものです。絵本や口頭で、様々な秋のことを伝えても、自らの体で感じてもらわない限り、秋を理解できないですよね。いろいろな秋、楽しんで下さい。

 運動会も近くなってきました。運動会当日、ご家族様の前で練習の成果や踊りを見てもらうことを楽しみに、練習にも一段と熱が入っています。今、園庭では、年長さんが踊りの練習をしています。初めて両手にポンポンをもっての練習。みんな目がキラキラしている割には、少し顔に緊張感が感じられました。内心ドキドキだったでしょうけど、踊りはじめるといつものように、右に、左に、前へ、後ろに体を動かして、笑顔で元気に踊り始めました。元気な踊りとポンポンの華やかさ、子どもたちの吸収力の強さに感動しました。どうぞ当日をお楽しみにして下さいませ。

≪七輪で焼く、さんまで本当の豊かさを知る≫
 先日、懐かしい七輪を持ち出して、炭でさんまを焼いてみました。私も記憶が微かですが、日本の昔の風景です。園庭の真ん中で焼くさんまのにおいに、子どもたちが集まって来ました。普段、あまり魚を食べないお友だちも、食べたそうなお顔をして、焼いているさんまを囲んでいます。『食べたぁ~い食べたぁ~い』の子どもたちの声に、私は『じゃ、園長先生が食べるところ、見せてあげる』と言うと、『えぇ~ずるいよ』の声、『そうだね、じゃ3匹しかいないから1クラス1匹でいい?』と言うと、みんな大喜びになりました。さんま1匹でこんなに喜んでくれるなんて、うれしいですね。今回は、取りあえず3クラスだけでしたが、先生方に、ほんの少しずつ取り分けてもらい、子どもたちに食べてもらいました。『美味しいうまい』の声、声、声。味覚の秋、このような体験が子どもたちの心の片隅に残り続けたらうれしいし、やがて大人になった時、そんな思い出があることが幸せではないかと思っています。
得てして、子どもの特徴としては、食べ物等をたくさん提供すると残すし、食べない時が多い、でも、みんなで限りあるものを分け合って食べると、ほんの少しの食べ物がとてつもなく美味しいものになるのです。子どもには、ほんのちょっとあげるぐらいがちょうどいいと思います。
私も中学生の頃、クラブ活動の帰り道、友だちとお肉屋さんでコロッケを1つ買って、みんなで分け合って、よく食べたものです。1つのコロッケを3つに分けるのですから、小さいですが、本当に美味しかったです。今、高価で豪華な様々な種類のコロッケもありますが、分け合って食べた当時のコロッケの方が、本当の豊かさだったような気がします。さんまにコロッケ、食べ物ばかりのお話しですみません。

≪ふじようちえんかるた≫
 『えんちょうせんせい、ねらってる』子どもたちが、私を見るとよく言う言葉です。何か?私が狙って、何かを手に入れようとしている?みたいに勘違いされている方もいると思いましたので、ご存知でない方のためにお話ししてみます。
実は、ふじようちえんには、平成29年度藤の会より、子どもたちへの劇発表会のプレゼントとして頂いた『ふじようちえんかるた』があります。当時、担当のお母さま方が作成に取り組み、ふじようちえんの様々な事や状況を細かくつかんで頂き、その言葉や絵をみんなで考え、描いてもらった素晴らしい“かるた”です。内容的にも、子どもたちがふじようちえんを理解するのにちょうどいいし、絵と文がマッチしていることで慣れ親しめるものとなっています。
その中の『え』が、『えんちょうせんせい、ねらってる』になっているのです。その源は、私が子どもたちのランチを食べている姿を見て回る時、子どものお皿にのっているフルーツを食べようとしている光景を捉えた言葉なのです。実際はフルーツを取るかのように手を伸ばすだけですからご安心ください。
このパフォーマンス、最初は、私も軽い気持ちでしていましたが、ある時、一人っ子は私が手を伸ばしても只々見ているだけ、それに反して、兄弟姉妹がいる子は、私が手を伸ばすとフルーツを隠すか?私の手を振り払う防御行動をするのです。少々荒々しいですが、『自分のものは自分で守らなきゃ』という気持ちも育ってほしい思いと、例えば、ご家庭なら、1つなくなれば、またもらえば済むところですが、集団生活の幼稚園ではそうはいきません。つまり、自分で守るという点や自立という気持ちも少しづつ育ってほしいと思ったからでした。そんな訳で、今でも、手を伸ばし、子どもが育つための道具として、お役に立てたらと思って、楽しんでいます。でも、最近、私が、昼食を食べているお部屋の前を歩くだけで、ランチプレートを手で覆い、私に食べられまいとする子どもたちがいるのも事実。少し、教育が行き届き過ぎたようです? ふじようちえんかるた、再販しましょうかね今度は、園長先生に何かをあげたくなるような台詞と絵で…(笑)
ちなみに、ある卒園児が夏休みの宿題で、『みずのいきものかるた』と題して、かるたを作りました。見させて頂くと、絵もきれいだし、文言も分かり易くて的確な表現でした。素晴らしい仕上がりで感動しました。かるたで物事への理解を深める…それも日本人の慣れ親しんだ七五調も耳障りが良く、楽しく学べる秀逸の学習道具だと思います。幼稚園で過ごした時間が更に花開き、たくさんの興味あることに出会いますように、願っています。
ありがとうそして、誰か?続編シリーズが出来たら、また、見せて下さいね。

≪運動会で育つ≫
この時期、毎年ではありますが、ふじようちえんの運動会への姿勢をお話しします。
運動会は楽しい行事ではあるけれど競技に参加したり、大勢の人の前で演じたりすることを通じて育つ、いわば装置みたいなものと思っています。でもその装置はものすごく性能が良くて、準備や練習の日から当日までの時間の中でお友だちと協力すること、競い合うこと、できたときの達成感、または自分の番を待つあのドキドキ感、人前で演じることの体験等々・・・言い尽くせないほど多くの体験や心の成長に貢献することがいっぱい備わった装置なのです。
そんな訳で、幼稚園のいろんな行事、特に運動会を子どもが育つための大切なステップとして捉えています。ただそのステップは、単に○○が出来るようになったとか、踊れるようになったとかいうことを目的にしたものではありません。それも大事かもしれませんが、それ以上にみんなで練習に参加して力を合わせることを経験したり、かけっこなどで早く走れるように努力する心が芽生えたり、みんなで難しい踊りを覚えることなどを体験できる時間を過ごす方が何倍も重要だと思っています。
【運動会を教える幼稚園にはなりたくない、運動会でみんなが育つ幼稚園でいたい】ということです。
運動会でふじようちえんが大切にしていることは、“思いっきりがんばろう”“堂々とやろう”“みんなを応援しよう”です。子も親も園もみんなで育ち合える…運動会にしていけたらと思っています。
 ご家族の皆様、お子様の成長をご覧頂くとともに、楽しい1日となりますように、ご理解、ご協力の程、どうぞよろしくお願い致します。

園長だより vol . 211 (2019.9.30)