ふじようちえん

園長だより vol . 192 (2018.5.1)

2018年05月01日 / 園長だより

藤幼稚園のご父母のみなさまへ

緑が美しく輝く季節、過ごしやすく、一年の内で一番清々しい季節です。
こいのぼりが悠々と青空を泳ぎ、子どもたちは屋根の上を元気に走り回っています。新しいクラスやお友だちにも慣れ、元気な声がいろんなお部屋から聞こえています。
今日、健やかな育ちを願い、みんなで柏餅を食べ、こいのぼりの歌を歌い、子どもの日をお祝いしました。柏餅のにおい、憶えておいて下さいね

皆様、いかがお過ごしですか? 先日は、遠足にご参加、ご協力頂き、ありがとうございました。お父さん、お母さんも、わが子がいつも一緒にいるお友だちに会い、わが子の幼稚園での活動を想像できたのではないでしょうか?また、紙のボードを使った自己紹介は、とても楽しく、子どもたちの様々な好きなことやモノが分かり、より親密になれたものと思います。でも、やはり、大空の下で食べるお弁当、美味しかったですね一味も二味も違いましたね。
さぁ、GWも残り後半、ご家族一緒に楽しい思い出をたくさんつくって下さいね。
園長先生は、近くのモールをウロウロしているかも知れませんが、そんな時、「えんちょうせんせい、ねらってる」なんて言わないでね(笑)以前、スーパーで言われて、まわりの人たちから、「何か狙っているのかしら、このおじさん?」と言う目で見られたことがあります。でも、大丈夫、見かけたら気軽に声かけて下さいね。お友だちから声を掛けられることが、園長先生は一番の自慢です。何故なら、私の同級生で、みんなのような年齢の友だちがこんなに多くいる人は、まずいないからです。ただ、私の名前を「えんちょうせんせい」と思っている子も多いようですが・・・。

≪ランチ、給食、おべんとう≫
 ふじようちえんでは、ランチを、園自家製の給食か、持参のお弁当を選べるようにしています。これは、食べるものは自分で選ぶということ、つまり、各自が選んだ主体性を尊重しようと思っているからです。基本的に、子ども一人一人の違いをすべて受け入れてあげようとしている姿勢と思って下さい。また、例えば、園の給食にゼリーが付いていて、持参したお弁当にゼリーが無くても、泣いたらおかしい、給食か?お弁当か?自分の好きな方を選んで食べるのですから、選択した上での平等を尊重していると思っています。そして、これが一番平等だと思っています。また、お弁当について言えば、蓋を開けた時のお弁当のにおい、これこそ、お母さんの匂い、お家のにおいなのです。『会えない時間が“愛”育てるのさ~』ではないですが、離れていても子どもたちが親を思う一瞬であり、親の愛情を感じる場面であり、それによって親子関係を強めているものと考えます。
給食の人気メニューは、カレー、焼きそば、スパゲッティです。特にカレーは、ほとんどの子がお替わりしますね。私たちも、カレーは幼い時からよく食べましたよね。  最近、知りましたが、レトルトカレーが発売されてから50周年を迎えているそうです。私も発売された頃、手軽で便利、手間がいらないボンカレーをよく食べました。ボンカレーのボンは、フランス語でおいしいという意味とのこと、今まで知らずに言っていました。そして、当時すでに大手がひしめくカレー業界で、同じことをやって
も無理だと考えた大塚製薬の方が、当時あったアメリカの真空パック的な食品にヒントを得て、カレーを入れたらどうだろうと考え、実行したのが世界初のレトルトカレーになったということです。ちなみに、大塚製薬さんは、薬品等々の製造等で、詰め方、パックの素材等々、大変なノウハウをお持ちだったということです。
最近のカレー業界では、レトルトカレーの売り上げが、カレールウの売り上げを上回ったそうです。確かに、忙しい時、簡単便利でお皿一つで始末も簡単、そして、何より、いろいろな味が楽しめ美味しいですよね。でも、私は、それ以上に、社会の変化を感じました。家族で食卓を囲んだ時代もありましたが、社会が忙しくなると同時に食事の風景も変化し、家族がいても一緒に食べず、個食、孤食とか言われている食事スタイルなのです。食事は、体に栄養を入れるだけではなく、その食べ方、みんなで食べる時間もとても大事なのです。さらに、“個食・孤食は、将来の不良と言われる人を育てる温床になる”とまで言われています。今一度、みんなで食べる食事、その始まりの幼稚園でのランチ、大切にして行きたいと思いました。

≪きれいな石で育つ、子どもたち≫
「きれいな石の袋、ください」と職員室前にお友だちが来ました。そうです、ふじようちえんの南側にある長い砂場(ロングビーチと私は言っています)で、見つけた赤、青、黄色、紫、透明・・・小さな石なのです。このロングビーチ、子どもたちには申し訳ないですが、「昨夜、流れ星がたくさんあったから、きれいな石がいっぱいあるね」とか、「サンタさんのソリが、この上の方を通ったからきれいな石が落ちてきたんだね」とか、話を創って、定期的にきれいな石を蒔き、耕運機で混ぜ返しています。大人も子どもも光るものはみんな好きという考えのもと、ルールは社会のルールと同じく、「早い者勝ち、採ったもの勝ち」と言っています。ただ、一つ大切なお約束があります。それは、「きれいな石をいっぱい採れたお友だちは、採れなかったお友だちに少し分けてあげて下さいね」というもの、ここで初めて、自分だけ採れればいいんだじゃなくて、分け合って他のお友だちも良くないといけないんだと言う心が育ってもらえばと意図しています。ただ、いつもきれいな石を入れすぎるのか?ほとんどのお友だちがそれなりに見つけられるので意図したところまで達していないのが現状のようです。
きれいな石を見つけると、例えば、私や先生方に「みて、みて」ときれいな石を見せに来ます。その時、子どもたちに「いっぱい見つけてすごいね」とか「この赤い石、大きいね」とか、「○○ちゃん、採るの上手だね」と言うと、子どもたちの目にきらりと光る満足感が読み取れます。子どもの見つけたきれいな石を通じて、その子の努力を全面的に受け入れ、認めてあげることが私ども大人の役目なのです。
自分の力で見つけたきれいな石は、『自分にも見つけられた』と言う成功体験の塊でもあり、それを認められたことで、自信が生まれ、やがてその自信がたくさん集まって、自立へと向かって行くものと考えています。
小さく、きれいな石1つですが、認めてあげることで、自分はここにいていいんだという、自分の存在が認められることになり、自己肯定感が芽生え、育つのです。
いつまでも、成功体験につながる遊びがたくさんあり、それを認めてくれる大人がいるふじようちえんでありたいと思っています。