ふじようちえん

2012.1月10日 園長だより

2012年01月10日 / 園長だより

藤幼稚園のご父母のみなさまへ

 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
未来につながる希望を信じ、実現に向かって歩む年としたいものです。

 寒さも厳しくなり幼稚園近くの温度計は朝-5℃。皆様、お元気でお過ごしですか?
始業式の朝、幼稚園の正門まで走って登園してくる子どもたちを見て、冬休み中、幼稚園に来るのを楽しみに思っていてくれたことを感じました。その気持ちに応えるべく、3学期も子どもたちの育ちを大切に見つめつつ、安全第一に過ごしていけるよう教職員一同、力を合わせて頑張って参ります。どうぞよろしくお願い致します。

≪お手伝い・約束≫
 お正月、5日の早朝、預かり保育に来られたお母さんに、『園長先生、冬休み、お手伝いしなさい』と話されましたか?と尋ねられました。『はい』と答えると、実は、『急に、この子がお手伝いする』と言って、餃子づくりを手伝い始めたとのこと。
確かに、終業式で、『何でもいいから、一つ、お手伝いをしましょう』『お年玉をもらったら、きちんと挨拶し、お母さんに渡すこと』『交通安全のこと』の3点をお約束させて頂き、冬休みに入りました。お友だちは、お手伝いを実践してくれました。“お手伝いすること”も大事ですが、それ以上に、“約束をしっかり守ったこと”にお友だちの確かな成長を感じました。素晴らしい新年のスタートになりました。

≪昔も今も、同じ!?≫
今回は、お正月にふさわしく、江戸時代の“子育て心得”をお伝えさせて頂きます。
 江戸子育て論のエッセンス『養育往来』   小川保麿 1839年(天保10年)

第一条 ◇子育ての失敗は親の責任
 ○幼少から体に染み込んだ気随は、どうして容易に直すことができようか。たとえば、最初に墨で染めたも
のを、後で急に白くしようと望むようなものである。親が子を育てなかったことを棚に上げて、子どもを折檻・打擲したり、親子喧嘩のあげくに子どもが家出をしたり、勘当に及ぶなどは、じつに嘆かわしく、悲しいことではないだろうか。

第二条 ◇先ずは親の姿勢を正すべし
 ○そもそも子どもに教えたいと願うのなら、まず、親自身の身持ちを正しくし、奢りを慎み、万事倹約を心がけて、分相応な考え、つねに質素に育てよ。
 ○子どもの教育には、親の気持ちを正しくすることが肝心である。

第三条 ◇愛情をはき違えるな
 ○一切の所作・挙動・衣食・言語にいたるまで、一言の良い言葉も聴かず、わずかの良い事も見ず、気随・気侭を良しとして正しい行いを教えないために、その風俗が習慣となり、さらに一生を誤る結果となる。ああ、どうしてこうすることが子どもへの愛情と言えようか。これらは皆、ことごとくわが子をダメにするばかりで、これを「曲愛」という。
 ○父母が子を養うだけで教えないのは、子を愛していないからである。また、教えてきびしくしないのも、子を愛していないからである。父母が教えても子が学ぼうとしないのは、みずからを愛していないからである。子が学んでも実行しないのは、やはり、みずからを愛していないからである。

第四条 ◇早く善意を教え、悪を厳しく戒めよ
 ○子どもは、善悪に染まりやすく、育て方によってどのようにもなる。
 ○子どもは物事に心が移りやすく、白糸が染まりやすいように、見た通りのまねをしてしまう。だから、子どもの良い行いはずいぶんと誉め、悪いことは堅く戒めなくてはならない。
 ○幼時より善い道をきびしく教え諭すべきであり、悪いことは堅く禁じるべきである。
 ○まず4・5歳から添え木をして、勝手気侭な悪い枝葉が蔓延らないように、不行跡やわがままをさせずに、「それはそうしないもの。これはこうすべきこと」と一々申し聞かすが良い。
 ○横着・無道の悪行を少しも許してはならない。何事にもよらず悪い行いがあったら厳重に戒め、二度と繰り返させてはならない。

第五条 ◇苦労させ、わがままを許すな
 ○本当に子どもを愛するなら、子どもに身勝手や気侭をさせず、すいぶんと辛労をさせ、きびしく教え育てるべきで、これこそが子どもを深く愛する親心である。
 ○元来、子どもは素直なもので、どれほど窮屈にしても、最初からの習慣で、思う程の苦労はないものだ。

第六条 ◇礼儀作法をしっかり教えよ
 ○八歳からは行儀を教える。門戸の出入り、食事のときや寝るとき、また、来客時や歩行中の礼儀など、それぞれの場面で挨拶ができるようにする。何度も年長者に後れるようにし、祖父・祖母・父・母・兄・姉など家族の者を尊び敬う道を教えよ。また、嘘偽りを言ったり、善悪を隠したり、食べ物に口賤しいことを堅く戒めよ。以上が子どもにとって第一の教えである。

第七条 ◇友人や遊びを吟味せよ
 ○選ぶべきは日頃の友人やふだんの遊戯である。かりにも遊女や博奕の所へ行かせてはならない。また、軽薄浮気の者を友にさせてはならない。決して無益の遊芸を教えたり、無用のもてあそび物を与えたりしてはならない。
 ○子どもの遊戯だからといって善し悪しを吟味しないのは、子どもを教育する道ではない。

第八条 ◇教師と親が心を一つにせよ
 ○師匠が如才なくしっかり教えても、親がきびしくしないと、子どもは一生懸命に学ばず、怠りがちになって、年をとってから後悔する者が多い。だから親と師匠の慈愛の気持ちを一つにして子どもを教育すると、子どもの学問は必ず成就するものだ。
 ○子を養って教えないのは父の過ちである。教えてもきびしくしないのは師の怠りである。父が教えて、師がきびしいのに、学問が成就しないのは子の罪である。そうはいっても、教えて成就しない子は少ない。

第九条 ◇学問の目的を見誤るな
 ○たまたま学問に進んでも、人たる道を教えない、単なる名利目的の学問で、どうして道理をわきまえられ
ようか。どうして身の行いに有益であろうか。
 ○道に背いて金銀・財宝を積み貯え子孫に残すよりは、むしろ聖賢の教えを学ばせて、己を修め、人を治める道を教えよ。

第10条 ◇子育ては試行錯誤の連続(誠の心で向き合え)
 ○誠意をもって考えれば、目的にぴたりと合致しないまでも、おおきな見当違いにはならない。子を養うことを学んでから結婚する女性はいないが、親子の心というものは自然と通い合うものだ。

いかがでしたか?不思議と現代にも通じ、私には、耳の痛い事ばかり…ご参考までに。

園長だよりvol.104 (2012.1.10)